第七師団本部として登場する恵迪寮の色々|ゴールデンカムイで寄り道さんぽ#47

淀川中佐「なに?網走監獄の典獄が私に会いたいだと?」

ゴールデンカムイ第97話『旭川第七師団潜入大作戦!!』より

尾形「まずいぞこれは やつは鶴見中尉お気に入りの「薩摩隼人」だ」

ゴールデンカムイ第98話『薩摩隼人』より

今回は、おなじみ北海道開拓の村にある恵迪寮(北大の寮)を巡っていきます。ここは特に旭川の第七師団本部として登場しています。

この旧恵迪寮は、北海道開拓の村のメインストリートから離れたところにあります。

午前中にいくとエゾリスが遊びに来てくれたりします。恵迪寮に向かって歩いて行くとよくリスが走り回る姿をみかけます。そのくらいちょっと森の方にあります。

そして何度も開拓の村に通っていた私ですが、実は初期の頃ずっとこの恵迪寮には入ったことがありませんでした。他を見ているだけで時間がなくなってしまうのも理由の一つですが、大きな理由はこちら

ただの小さな家屋に見えるのです。夏はとくに左側の大きな建物(宿舎部分)が木々に隠れて見えないので、余計に「これだけ魅力的な建物見てきたのにあそこまで行ってわざわざ小さな木造家屋を見なくても」みたいな気持ちになっていました(笑)。古い木造家屋が好きで訪れているのにおかしな話なのですが、村内広くて疲れてきている頃に見るのもあるでしょうか。

近くで見るとたいへん大きくてすばらしい建物です。これでも寮の一部なようですが大きな建物。

恵迪寮の中央出入り口かつ職員室部分。

左右対称に寮の宿泊棟があります。36室あったのを12室に減らして保存。

↓見た目に反して広い玄関。下駄箱がたくさん。

この玄関が、まだ雪の残る季節に行っても温室のようにあたたかいです。そして玄関入ってすぐ左(下の画像で写真が並んでいるのが少し見えています)があの部屋です

天才詐欺師 鈴川聖弘「熊岸長庵を連れた部下が待機しています 熊岸と白石の交換は外で行いましょう 網走監獄の一件でこちらとしても疑り深くなっておりますゆえ…」

ゴールデンカムイ第98話『薩摩隼人』より

杉元(犬童が薩摩弁に精通しているというのは網走の囚人たちなら知っていたみたいだが 短い時間でしっかり対策してきた 天才詐欺師と呼ばれるだけのことはあるぜ)

ゴールデンカムイ第98話『薩摩隼人』より

ちなみにこの時壁にかけられた写真は、作中では歴代第七師団長なのでしょうか、軍人の写真に変わっていてそれもかっこいいです

廊下を挟んで向かいが寮の職員室、淀川中佐の登場場面で背景に映っています

第七師団が忙しそうに駆けていた渡り廊下

淀川中佐の部下「小樽の鶴見中尉へ連絡しろ 急げッ」

ゴールデンカムイ第97話『旭川第七師団潜入大作戦!!』より

宇佐美や尾形なども第七師団本部にいる間はここを忙しそうに駆けていたのでしょうか

尾形と花沢中将の会話シーンにも回想として登場

尾形「入隊して初めて会いましたが 面をくらいましたよ」

尾形「『規律が緩みますから』と何度注意しても部下の俺を…

『兄様』と呼ぶのです」

ゴールデンカムイ第103話『あんこう鍋』より

一応この建物は移築ではなく復元として新築したことになっていますが、その際当時の古い木材を使う(使える箇所のみ)などしたとも聞いています。ちょうどモデルとして登場するこの階段手摺の擦り切れ具合なんかはなかなか古い気もします

階段はたいへん雰囲気が良く、作中も何度も登場して嬉しい限りです

鯉登「逃がすなッ」

ゴールデンカムイ第98話『薩摩隼人』より

鯉登「はあ…やっぱ格好良かった」

鯉登父「もす」

ゴールデンカムイ第200話『月寒あんぱんのひと』より

(尾形と鯉登がすれ違いざま睨み合う)

ゴールデンカムイ第200話『月寒あんぱんのひと』より

各部屋は寄宿舎を再現している部屋と資料を展示している部屋があります。1年生の部屋から上級生の部屋になるにつれて、遊びもの(将棋台)なんかが増えるのもちょっとリアルで面白いです。なんとなく家永が経営していた札幌世界ホテルの客室にも通じる雰囲気があります。

ベッドの下が収納になっていて、学生一人につきここに収納できる分だけの荷物しかなかったのではと想像できます。教科書や勉強道具も入れるとなると、私物なんか殆ど持てません。

建物内には寮歌なのか校歌なのか、雄々しい歌声(合唱)が流れていて、屈強な男たちの学び舎という感じで良い雰囲気です。

 

白石「杉元が撃たれちまった」

尾形「不死身なんだろ?死ぬ気で走れッ」

ゴールデンカムイ第98話『薩摩隼人』より

杉元「俺の… 足が止まったら… 白石ッ お前がアシリパさんを網走監獄まで……」

ゴールデンカムイ第98話『薩摩隼人』より

渡り廊下とその先の寄宿棟。結構広いのが分かります

以下、余談になりますが展示が興味深かったので。「この世で一番まずい」「泣きながら食べた」などとまずさを表現する声が後を絶たない食べ物『ヌカパン』。食欲旺盛な時期の北大の学生もこれには苦戦していたようです。おいしいから食べるのではなく餓死をまぬがれるための食べ物。

ヌカパン
戦後まもなくの頃に一時登場した玄米で作ったパン。大変まずく、水などでなんとか流し込んだという。
…という説明が書かれてありました

説明には玄米と書いてありますが、より性格には「米ぬか」ですね。ぬか漬けのあの「ぬか」を食べている感じでしょうか。これはたしかよく膨れるので食糧不足の頃にとにかく大きさを求めて作られたようです。今ヌカパンというと釣りに使う魚の餌ですね…

ベッドの傷。落書きみたいな感じかな?ベッドはたたみですね
学生帽
ベッドに体がくくりつけられています。この絵の説明が見当たらなかったのですが、寒さ対策でやっていたのか寝相が悪くて矯正の意味でやっていたのか…結構興味深かったです

布団ごとロープで縛っている学生さんもいますが、器用に自分でやるのでしょうか。

ちなみにこちらの建物は入ってすぐのところ(職員室の向かい)に名札がずらりと並んでいます。寮にいる人は黒札、外出中の人は赤札。この建物は恵迪寮の同窓会が寄贈したと聞いたことがあるので今あるのはその同窓会の方々の名前だと思われます。赤札の方は鬼籍だそうですが、ここでは「ちょっと外出中ですよ」ということになっています。優しい心遣い。

今回の記事で巡ったところがほぼ全て登場します。動画派の方は是非こちらもご覧ください。