実際のバッタの大群襲来、その駆除法が凄かった|ゴールデンカムイ寄り道さんぽ#3バッタ塚


ゴールデンカムイ寄り道さんぽ#3バッタ塚

蝗害に立ち向かう和人とアイヌの住民の様子(資料館の展示)

尾形「まずいぞ これは…」

(ゴールデンカムイ 第115話 『蝗害』より)

今回はゴールデンカムイで寄り道さんぽ#3、バッタ襲来の話です。実際の壮絶な被害の様子を新聞記事や資料館の展示から探ります。

名作『ゴールデンカムイ』(野田サトル作)の第115話は、伝説のラッコ回につながる重要な回。実際にあったバッタの大群襲来を元に描いている。

用心深い尾形はたいてい双眼鏡を覗きながら後ろを確認しつつ歩く姿が多く見られるが、この時もアシリパはマンボウ漁、他メンバーは各自談笑っぽいことをしている中、尾形がいち早く双眼鏡で空の異変に気が付いた。辺りが真っ黒になるようなバッタの大群に耐えかねて皆近くにあった番屋に逃げ込むのである。

尾形「飛蝗ってやつだ」

(ゴールデンカムイ 第115話 『蝗害』より)

このバッタの大群襲来(蝗害)は実際北海道で起こっており、古くは関東平野でも農民を悩ませた。現在札幌市の端に少なくとも180億匹を埋めたというバッタ塚が残されているが、今行ってものどかな草原といった光景で危機迫るたいへんさがいまいち分からなかった。頭ではたいへんだったんだな~と思いつつ、心のどこかでふーんといった感じ。でも、ある日バッタ塚近郊の資料館でこんなものに出会えた。古い新聞の切り抜きである。(写真撮影許可有)

資料館に貼られた新聞の切り抜き。
あれだけ広かったバッタ塚がほとんどなくなってしまったというような内容

現在も広い草原が畝上に残っており(草が生い茂っているので畝といってもあまり分からないこともある)、当時を想像するくらいはできるのだが、実はあれはほんのわずかな範囲残っているだけのようで、実はほとんどは既に宅地になったようである。

新聞の見出しには『バッタ塚 開拓期の遺跡 壊滅寸前』とある。現在の姿から想像するよりも実際は桁違いに広かったらしい。ゴールデンカムイの金塊が途中から桁違いだと分かったような衝撃である。バッタを集めて埋めるだけの土地が相当広いということは、その被害たるや絶望的だったと思われる……

資料館の方に写真OKと言って貰えたものの、残念ながら展示は新聞ではなく新聞の切り抜きで、何年の何新聞かは不明。ただ読むとその内容がすごかった。

まとめて以下にご紹介。

当時のバッタ駆除法

大声を出す(もう最終手段すぎる。これだけで当時の打つ手なし感が伺える。でも前に進む時などバッタが多すぎてこうでもしないと移動できなかったのであろう)

ものをたたいて鳴らす(どうやら音に反応したようである。これも上同様もはや打つ手なしといった状況が伺える)

紅白の旗を振る(その場から一時的にいなくなるだけだがそれが精いっぱいだった当時の絶望感が伺える)

空砲を撃つ(今でもスズメ避けなどに使われる方法)

板で叩き潰す(住民ができるレベルでは一番効果的ではなかったろうか。でもきりがなく体力が奪われたいへんだったろう)

ローラーでひき潰す(便利そうだけど使える人と場所が限られる。通常ならほとんどのバッタが簡単に避けることを考えると当時はホント相当な数だったんだなと感じる)

溝や穴に追い込んで石油をぶっかける(原文ママ)

田畑に魚油をふりまく(細かい状況が書かれていないがおそらく田畑ごと焼いてしまったのだろう)

他にも数百頭の馬に踏みつぶさせたり、あの初代第七師団長永山武四郎も実際に大砲を持ち出している。

尾形「屯田兵もバッタ退治に大砲もって駆り出されたそうだ 第七師団じゃ語り草になってる」

ゴールデンカムイ 第115話 蝗害

当時は上空を覆う大砲の煙と大量のバッタの羽音で、戦争中のようになったという旨が新聞には書かれていた。場所は札幌市中央区山鼻地区。今では結構な都心部である。

読み進めるにつれもうこれ打つ手なしじゃん、最終的にどうしたんだろうと思うが、やはり一番効果的だった方法は「バッタの買い取り」であったようだ。これは収穫ゼロのまま厳しい冬に突入せざるをえない人々への救済の意味も含まれた対応。一升3銭~15銭(値幅がかなりあるがタマゴの有無が考慮されたか)で買い取りが始まると駆除作業は大がかりになる。

学校は休業となり子どもも駆除作業をした。”人民殆ンド疲労セリ” の文字を見るとさすがにやるせない気持ちがこみ上げる。少なくとも「買い取り?ラッキー!」というような状況ではなかったことがわかる。このような状況が明治13~17年、5年に渡り続いている。その間収穫ゼロの田畑が多く、ただでさえ厳しいい冬を収穫ほとんどなしでどう凌いだのかと思うとこみ上げるものがある。

新聞切り抜きの挿絵に、木にたかるバッタを住民たちが駆除している様子があった。和人・アイヌ一丸となって取り組んでいる。写真でもないし一枚の絵が全てを語るわけではないのは承知だが、この和人とアイヌが協力し合う絵はゴールデンカムイの作中にある一コマのようで嬉しい気持ちにさせてくれた。バッタ買い取り額は和人とアイヌで差別はなかったそうである。草食動物であるエゾジカがダメージを受ける蝗害は、アイヌの人々にとっても大きな問題であった。

端が切れてしまっているがおそらく「農民・アイヌ総出のバッタ駆除風景」とある

バッタだらけの木に登ってロープを結び付け、木を揺らす係の人も描かれている。たいへんな作業だ…

実際にバッタを埋めた土も見ることが出来る

実際に大量のトノサマバッタを埋めた土を一部抜き取って展示してくれてある。真ん中あたりで途中で色が変わっているのが分かるだろうか

これは実際のバッタ塚から採取された土。ボーリング調査のようにスポッとそのまま抜き出したものと思われる。

ガラスケースの真ん中あたりで土の色が変わっているのが分かるでしょうか、下半分はグレー、上半分は黒い土。この黒い部分がバッタが埋められた部分。

バッタ塚は海に近い場所にあり、ここも元は砂浜だったようで下のグレー部分は砂である。その上にバッタを埋め、土を被せたが長い年月でバッタは土に還ったようだ。

上土とバッタの境目は長い年月で同化していた

ゴールデンカムイ寄り道さんぽ#3バッタ塚