エゾオオカミを見ておこう|ゴールデンカムイで寄り道さんぽ#8


今回はゴールデンカムイさんぽ#8、「エゾオオカミを見ておこう」です。

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江渡貝くんの家のモデルはめずらしい標本がたくさん展示された国内最古の現役博物館。
ゴールデンカムイの時代設定である明治期に建てられました。館内には世界唯一の展示も

名作「ゴールデンカムイ」(野田サトル作)に登場するエゾオオカミ。最後のホロケウカムイと言われていたレタラがかっこよく活躍する姿が印象的だった。

北海道に来たらエゾオオカミを見ておきたい。 見ておきたいとはいっても、ゴールデンカムイ作中にも説明があるように、エゾオオカミはもう絶滅したといわれている(作中ではエゾオオカミに関しては少し希望の残る書き方が採択されている)。

エゾオオカミ最後の確認例は1896年に函館の毛皮商である松下熊槌によって「毛皮を数枚扱った」という記録に過ぎない

ゴールデンカムイ 第29話 老人と山

絶滅したことの証明というのはいわゆる”悪魔の証明”に似たような部分があり難しい。でも現実的には100年以上全く目撃例もないので絶滅したといわざるを得ない。見ておきたいというのはエゾオオカミの剥製である。エゾオオカミの剥製は北海道大学植物園内の博物館に行くと見られる。説明によれば剥製はこの博物館が保有しているもののみであるとのこと。世界で唯一エゾオオカミの剥製が見られる場所ということになる。他で見られることがあるとすればこの博物館所有の別個体が他所で特別展示されるなどの場合だろう。

北海道大学植物園内にある博物館。明治15年築。江渡貝くん家のモデルでもある
エゾオオカミの展示のようす。

エゾオオカミの剥製は2体、入ってすぐ右側にある。

少し引きで撮ったのはこの希少な展示ケースを見てほしかったので。

この展示ケース、格子ガラスになっている。現在の博物館なら大きな一枚のガラス板またはアクリル板にするところで、展示物が見えにくくなる格子ガラスにすることはまずない。しかしここはなんと明治15年築の博物館。すごいことにガラスも多くは当時のままのものであり、昔の製法では展示ケースの大きさの一枚ガラスは技術やコストの問題で難しかったのだろう、今では珍しい格子ガラスの展示ケースなのだ。この展示ケース自体が古くてたいへん貴重なものなのである。そう思うとほんと、転んだりぶつけたりすることのないように心底気を付けたい。ちなみに明治15年というと杉元がまだ生まれていないか生まれたばかりかといったところだと思う。

古いガラスは、わずかながらに歪みがある。その独特なゆらぎに味があるのだが、博物館をゆっくり歩いて見て回ると、この古いガラスの歪みにより、展示された剥製が一瞬わずかに動いたように見えることがあり、面白みがある。

ゆっくり歩きながら見ると、ガラスの歪みで少し筋肉が動いたように見えることがある

エディ・ダン「ストリキニーネの毒餌で私はたくさんのオオカミを駆除した 結果的にオオカミの絶滅に加担したわけだ」

ゴールデンカムイ 第65話 不死身の赤毛

エゾオオカミの剥製の横には、なぜ絶滅したかという説明板があるが、内容はゴールデンカムイ作中の説明(北海道が大規模酪農をはじめ、家畜を狙うオオカミを駆除)とほぼ同内容のことが書かれていた。作中のエディ・ダン(実在した北海道開拓の父であるエドウィン・ダンがモデルであろうと思われる)が推奨した毒殺という方法は北海道中で行われた。当時の北海道の農場においてこの方法はコスト的にも実現性の高い方法だった。

ただ狼を絶滅させたかった訳ではない、牧場を守ろうとした結果だった。モデルとなった実際の人物エドウィンダンは、牧場の牛馬を襲わなかった頃のオオカミにはこの方法を採ろうとしていなかったし、オオカミは駆除の対象にはならないという主旨の発言をしていた。エゾジカが減り牧場の牛馬が襲われるようになったため、やむなくの選択ではあったようだ。エドウィンダンは北海道の酪農の指導者として呼ばれており、道内の農場を守り切る責任があった。エドウィンダンは獣医であり、心なく動物をやみくもに毒殺するとは考えにくい。まさか絶滅するとまでは思っていなかったのかもしれない。

ゴールデンカムイの話に戻る。作中、エディ・ダンのセリフは毒殺という方法に対する自身の覚悟が伺える。駆除の推奨が廃止される明治21年までに少なくとも1500頭以上のエゾオオカミが駆除された。他にも開拓使が行ったエゾジカ肉の缶詰工場によるエゾジカの減少(エゾオオカミの餌の減少)、また開拓に伴い本州から連れてきた犬の伝染病(ジステンバーなど)もオオカミには大打撃だったようである。

上の画像、よくみるとエゾオオカミの首元あたりに弾痕のような跡が見えるだろうか。詳細は不明だがこの個体も駆除されたものの一つであろう。開拓は決してきれいごとではなかったのが作中のセリフからも伺える。

エディ・ダン「我々は 知恵を絞って対策するのみ 呪いたければ呪うがいい」

ゴールデンカムイ 第65話 不死身の赤毛

エディ・ダン「北海道開拓の歴史は大自然と人間の戦いの歴史である 自然をねじ伏せて生きねば 我々開拓民に明日はないのだ」

ゴールデンカムイ 第65話 不死身の赤毛

もう一体もやはり似たような場所に弾痕のようなものがある。毒殺も多かったようだし古い剥製であるので、穴の理由は弾痕だけに限らないがなんとなくこうして見ることで当時の「リアル」を感じ取ることができる。

後ろのエゾオオカミが雄、手前が雌。

この二頭のエゾオオカミ、なんとどちらも札幌にいたものだそうで、後ろの立ち姿のエゾオオカミは1879年札幌市白石区、前の伏せた姿のエゾオオカミは1881年豊平区にいたエゾオオカミ。どちらも今はビルやマンションの多い地域。当時まだまだ今より自然が多く野生動物と隣り合わせで暮らしていたことが伺える。

ところで剥製というのは造り手によって姿が大きく変化してしまう側面がある。この博物館にあるものもいくつかは(本当にこんな顔だったのだろうか…)と思うものもある。

同じ博物館内にあるヒグマの剥製。
牧場を荒らしまわり屯田兵により駆除された。のんびりさん顔

上の画像は今の札幌市手稲駅近辺の大規模農場を荒らしまわり、最終的に屯田兵が駆除したヒグマの剥製。顔全体が凹凸がなく、ちょっと現実離れしたおっとりとした顔に見える。本当に農場を荒らしまわったの?と思うような、どんぐりやはちみつだけ食べて生きていきそうな優しそうな顔。

日本での剥製の歴史は新しいので、古い剥製となるとまだ技術的に試行錯誤だった時代。その中では目を見張る出来栄えだったことは想像に難くないが、同じ熊の剥製でも時代や技師が違うと結構顔が変わる。写真や映像でで生き生きとした姿を気軽に残しておける時代かどうかも関係してくるだろう。

こちらの画像は旭川にあるヒグマの剥製。顔が全く違うのが分かる。迫力が凄い。眉間の下に口を大きく開けた時の細かいしわまで再現されていて、剥製と分かっていてもちょっと恐ろしいくらいだ(この剥製、大きさも道内トップクラス)。この剥製ヒグマは立ち姿なので大人の背丈をはるかに超える大きさで最初に見た時はかなり驚いた。

何が言いたいかというと、ヒグマの現実離れした剥製をみて想像がつく通り、エゾオオカミの顔がどの辺まで再現できているかはちょっと分からないということ。やはり古い時代に絶滅してしまうほど正確な復元は難しい。とくに手前に置かれた剥製は生前の顔から少し遠ざかっているだろうという感はある。

手前に置かれたエゾオオカミの剥製。凹凸が少なくのっぺりとしているようにも思える

でも顔以外は現在の犬やシンリンオオカミと比較しても正確に再現されていそうな感じはある。

今にも動き出しそうな剥製の足部分。爪が鋭く大きい。

そしてこのエゾオオカミ、意外と小さい。

体型から子犬とは思えないし、成体の大きさなのだと思うが、飼い犬でももっと大きな種類はたくさんいる。柴犬よりちょっと大きいだろうか、といったところ。秋田犬より小さい感じ。同じ博物館内に樺太犬の剥製もあるが、それよりずっと細くずっと小さい。樺太犬とエゾオオカミでは、ヒグマとツキノワグマくらいの体格差がある。

エゾオオカミの展示ケース内に飾られた絵。エゾオオカミの小ささが分かる

エゾオオカミ展示ケース内の絵。馬の牧場にエゾオオカミが入り込み、馬たちが逃げ惑う様子。エゾオオカミの小ささが分かる。大きくなくても十分脅威なのは、ゴールデンカムイ作中に出てくるクズリの例をみてもうかがい知ることが出来る。小さくても危険な動物というのは結構いるものだ。

シンリンオオカミ。札幌・円山動物園にて

レタラの外見のモデルはエゾオオカミというよりシンリンオオカミであろうか。たいへん大きく、白銀の毛がかっこいい。歩き方も堂々として「大型動物」といった風格。シンリンオオカミも、展示する動物園は国内でも限られているので、時間があればみておきたい。

エゾオオカミの剥製のある北大植物園内博物館の場所はこちら

シンリンオオカミのいる札幌市円山動物園の場所はこちら

ゴールデンカムイで寄り道さんぽ#8エゾオオカミを見ておこう


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