アシリパ「この近くで牧場を経営するエディー・ダンというアメリカ人だそうだ」
白石「アメリカ人!?」
(ゴールデンカムイ第63話『モンスタ』より)
エディー・ダンの応接室として登場するへやが旧浦河支庁庁舎にあることにはもう触れたが、エディー・ダンに関するモデルがいくつか残っているので今回はエディー・ダンにまつわるあれこれをご紹介。
一つは作中に登場するエディーさんの家の外観。こちらは札幌世界ホテルと同じく北海道開拓の村内にある「旧開拓使爾志通洋造家(きゅう かいたくし にしとおり ようぞうけ)」。
パッと見完全な洋風建築なのに、中に入ってみるとすべて和室であった(あと靴を脱ぐ土間との境が高かった。”昔の日本家屋”という雰囲気)。中は作中登場しないので画像をとってこなかったが、撮ってきてこちらで紹介すればよかった。
そしてもう一つ、エディー・ダンのモデルとなった実在した人物エドウィン・ダン。今でも北海道酪農の父と呼ばれていて、北海道農業を欧米式の本格的なものにするための指導にあたる、お雇い外国人として北海道に呼ばれたアメリカ人。エドウィン・ダンなくして今の北海道牛乳やチーズ、北海道ミルクのソフトクリームはなかったかもしれない重要人物。札幌市南区にそのエドウィン・ダンさんに関する資料や展示品が残っている場所がある。
このあたり一帯は昔、広い広い農場であった。果てが見えないくらいの大農場。そこでエドウィン・ダンが指導にあたっていた。その事務所だった上記画像の建物をこうして今も保存している。中はエドウィン・ダンにまつわる資料や展示品が並んでいる。
中もご紹介するとして、先に余談にはなるがこちらの公園の画像を2枚だけでもご紹介させてください。無料でふらっと立ち寄れる公園なのに本当に絵画のように美しい公園、エドウィン・ダン記念公園。
紅葉が深まればこの公園もさらに美しさを増す。池には鴨がのんびりと泳いでいる。
そしてこの公園の中にある一体の銅像
この男性こそエディー・ダンのモデル、エドウィン・ダン。
肩に担いでいるのは子羊である。広い農場ではぐれた子羊をひょいと担いで牧舎に戻るところだろうか。作中のエディー・ダンは応接間に残り農夫たちとともに働く様子は見られなかったが、こちらはいかにも農作業にいそしんでいるという雰囲気で温かみのある人物像。
温かみといえば、作中にこんな言葉がある。
エディー・ダン「ストリキニーネの毒餌で私は沢山のオオカミを駆除した
結果的にオオカミの絶滅に加担したわけだ」
(ゴールデンカムイ第65話『不死身の赤毛』より)
実在した方のエドウィン・ダンも作中同様たくさんのエゾオオカミを駆除した。「たくさんの」どころではなく、絶滅させたといっても過言ではない。エドウィン・ダンは先述の通り農業指導者で、その指導者がストリキニーネの毒餌を使うことを推奨したのだ。結果エゾオオカミは激減し、絶滅したとされるに至った。”結果的に絶滅に加担した”どころの関りではない。
…と、史実だけ追うとこんな流れではあるが、エドウィン・ダンについて調べていくと若干見方が変わってくる。
エドウィン・ダンは酪農の指導者として北海道に呼ばれたが、それ以前に一人の獣医であった。今のようなペットを診察する獣医ではなくおそらく産業動物獣医師の部類で、牛や馬、豚などを診ていたのだろう。一人の獣医として生きる人間にとって、毒餌で狼を殺すことになんの思う所もなかった訳ではないだろうと容易に推測できる。事実エドウィン・ダンはその必要に迫られる年までは、エゾオオカミを大々的に駆除するようなことはなかった。
以前はエドウィン・ダン自身が「エゾオオカミは(森に)獲物がある限り人に危害を加えない」と断言しており、積極的に駆除する様子がなかったことが分かる。最初から無慈悲に殺して回っていた訳ではない。そのエドウィン・ダンが結果的にエゾオオカミ絶滅に加担したのは以下のような経緯がある。
エドウィン・ダンが日本に来て6年目くらいになる1879 年(明治12年)、北海道は大雪に見舞われ、なにもかもが雪に埋もれてしまった。通常雪の上に顔を出しているような熊笹などもすべて雪の中。その影響で冬眠をしないエゾジカは餌がなくなってしまい数が激減。
そしてエゾジカが激減した影響で食料を失くした狼たちが今度は牧場の家畜を襲い始める。エドウィン・ダンは北海道で農業を成功させるべく呼ばれている指導者の身なので、エゾオオカミから北海道内の試験農場や各牧場を守る責務があった。当時の北海道の財政や牧場施設に掛けられる経済的状況の限界から見ても、牧場の周りに毒餌を置くことが現実的だったのであろう、エドウィン・ダンはストリキニーネの使用を提案し、道内じゅうで使用された。北海道中をおいかけまわして殺害していったわけではないが、おそらくは牧場に入り込まないよう牧場の周りにのみオオカミ用の毒餌を置いていたのだろうが、結果的に数が激減、さらには開拓使もこの害獣に賞金を懸けていたのでエゾオオカミは見つかり次第猟でやられてしまう構造となり、先述の通り餌も激減している…という状況で絶滅していった。開拓の時期に本州から連れてきた犬の伝染病が移ったという説もある。いくつもの原因が同時期に重なり、エゾオオカミは絶滅した。
作中では、エディー・ダンのこの言葉がたいへん印象的であった。
エディー・ダン
「ストリキニーネの毒餌で私は沢山のオオカミを駆除した 結果的にオオカミの絶滅に加担したわけだ……(中略)……馬は土壌の開墾に必要不可欠だ 我々は知恵を絞って対策を打つのみ 呪いたければ呪うがいい」
(ゴールデンカムイ第65話 『不死身の赤毛』より)
腹のすわった様子が伺えるこの言葉で、鶴見中尉にも似た、時に残酷な決定をしなければならない指導者の覚悟を見た気がした。第65話では狼の毛皮の上を革靴で踏みながらの台詞であった。
エディー・ダン「北海道開拓の歴史は大自然と人間の戦いの歴史である
自然をねじ伏せて生きねば我々開拓民に明日はないのだ」
(ゴールデンカムイ第65話 『不死身の赤毛』より)
アシリパさんと杉元達が訪れた時点ではもうエゾオオカミが絶滅している体で描かれているので(レタラはハンターたちには知られていない存在)、実際に絶滅したとされる時期とリンクしている。
エドウィン・ダンを囲んだ一枚の写真。日本人が集まって写真を撮るとなったら直立不動が基本だが、犬を一緒にうつしたり各自姿勢がバラバラなあたり、西洋風が入っている感じがする。説明板によれば明治10年のもので、まだストリキニーネで狼を駆除する前のもの。犬がなついた様子で気を許して足元で寝ている。この写真からも本来エドウィン・ダンが動物好きであり獣医であり、動物に少なくとも一定の理解があることが伺える。むやみに人を襲わないと知っているエゾオオカミに毒餌を与えることに何も思うことがなかった訳ではなかろうという推察ができる写真である。
ところで余談ついでにこんな資料も。作中エディー・ダンは変わったものをたくさん集め、洋風の応接間でカップ(ホーロー製のコーヒーカップに見える)にて飲み物を飲んでいる(第63話、第64話)が、実際は和風の湯呑を愛用していたと分かる資料が残っている。
こちらの画像。「ダンが使用していた湯呑」とある。いかにもな和風の湯呑。これでお茶を日々飲んでいたのだろうか、この湯呑で時には珈琲も飲んだろうか(当時の札幌で珈琲が手に入ったのか分からないが)。この湯呑、ガラスケースの中にあるのでメジャーで測ることが出来ないのだかものすごく大きい。スタバのベンティよりもたくさん入る湯呑に見える。400mlは入るのでは。
さすがアメリカ人だなあと思っていたが、当時の北海道、このくらいの大きな湯呑でこのくらいの厚みがないと、お茶もすぐさめてしまったのだろうと思いを馳せると、北海道の父もまた大自然と戦いながら暮らしていた一人なのだななどと思うのであった。