前回と話が少し繋がっています。今回はちょっと寄り道的な話も含みますが、後半また少し隠し部屋関連の話を、前半は作中登場しませんがとてもびっくりした光景でしたので是非写真だけでも見ていってください
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辺見がヤン衆と呼ばれる漁夫として雇われていた漁場は、開拓の村内に移築された青山家の鰊御殿がモデルと思われ、元は小樽市にあった鰊御殿。現在の正式名称は旧青山家漁家住宅。
対して辺見の親方の豪邸のモデルである小樽市鰊御殿は元は泊村にあった田中家という別の鰊御殿。現在の正式名称小樽市鰊御殿。
この二つ、どちらで働くかで雲泥の差があった。……ヤン衆の人生をも左右したかもしれない、そんな鰊漁場の話。
まずは開拓の村内にある旧青山家漁家住宅。辺見の職場である。外観からして申し分なく立派。
漁夫の過ごし場。周囲に布団がぎっちり並び、中央には広い板の間、囲炉裏が二つもあるのが分かる
漁で濡れたわらじを干したのか、天井にはたくさんわらじが吊るしてあった
ロフトのように周囲をぐるりと二階が囲んでおり上にも下にも漁夫が寝る布団がずらりと並んでいる。
私は開拓の村にかなり頻繁に通っていた割に村内のボランティアガイドに遭遇できた経験がほとんどなく、唯一初めて訪問した時にこの鰊御殿にボランティアの方がいらっしゃったきがする。その時に「こんな過酷な環境だったんですよ、一人一畳しか与えられず、布団一枚、立って半畳寝て一畳の生活を本当にしていたんですよ」…などと教えていただいた。もう12〜13年くらい前になるだろうか。
一方こちらの小樽市鰊御殿の漁夫の寝床がこちら。とんでもなく過酷な環境。過酷な環境と教えていただいた辺見の漁場が超ホワイトに思えてしまうような過酷な環境である。
嘘でしょうと目を疑うような光景。ここを「漁夫『寝室』」と呼んでもいいのかと躊躇するような空間。まさに屋根裏に板を何層にも敷いていて、これにはさすがにびっくりした。ハシゴ&ハシゴで3階建て以上にはなっているであろう所で雑魚寝している。
布団はなく、一人3枚支給されたというござで寝ていたそうで、あみだくじのようにところどころハシゴがあり、あっちにもこっちにもと総勢120名がまだ寒い北海道の海沿いの地で寝ていたのだという。
旧青山家の方は仕事終わりの漁夫たちが囲炉裏を囲んで温かい場所で食事してる風景が目に浮かぶけど、こちらは本当に寝るだけという雰囲気。田中家が特別に待遇が悪いわけでは無さそうで、ムシロが一人3枚支給されたという話はニシン漁場跡を見ているとよく聞くので、青山家は特別待遇が良かったのかもしれない。もしくはこれが明治と大正の差か。鰊漁場も年数がすすむと待遇の良さをアピールして人材を集めることがあったようである。あちこちの漁場を渡り歩いた人間が待遇の差に気付いて話が広まるのだろう。その結果大正時代の青山家の方は畳と布団になっているのかもしれない。
旧青山家の方はいろりを囲んでいるので多少の暖がとれた状態で寝るのだろうが、こちらはとても寒そうだ。一応漁夫エリアの一階土間部分に台所はある
「こっちは板の間にムシロで寝られたもんじゃねえけど、あっちの漁場は畳に布団らしいど」
そんな話が広まったら各網元も待遇を改善しないと人が集まらない。そんなことの繰り返しで少しずつ田中漁場のような職場から旧青山漁家住宅のように環境が変わったのかもしれないが、とにかく明治期に布団で寝かせてくれる辺見の親方はかなり好待遇で漁夫を雇っていることが分かる。
ちなみにこの小樽市鰊御殿の例では、船頭クラスになってくるとなんとか畳の上で寝られたようだ。
今はニシン漁の道具などが展示されている。
日泥の女将「おまえの父親はいまもどこかでモッコでも背負ってるだろうよ」
ゴールデンカムイ第59話『雪原の用心棒』より
モッコは右の一番大きなものははじめてみたというくらい大きかった。鰊を積み込んだら何十キロになったのだろうか。もっと小さなものでも20キロと言われるし、そもそも空のモッコでも背負ってみると重い。ミニチュアのようなモッコは子ども用。こんな小さな子たちの労働力も必要とするくらいの現場であった
とにかく、畳部屋というものがこんなありがたいとは。実際寝泊まりした訳でもないのに、あの漁夫寝室の空間をみたあとだとしみじみそう思われる。見たところ船頭クラスでもプライバシーは一切なさそうだ。衝立くらいはあったのかもしれないが。
よく観察してみるとここもかなり天井が低く、上が板の間になっている。
船頭ほどではなくてもちょっとした班長的な漁夫やまだまだ若い船頭なんかはこの板の間に寝たのだろうか。あちらに収まりきらない漁夫たちがここに寝たのだろうか。プライバシーは一切なく、夜はムシロをしいて雑魚寝。食事付きとはいえ逆に言えば出たものしかありつけない。
ところでこの田中家鰊御殿には階段が他にもある。それがこちら
他のニシン御殿ではあまり見たことのない、漁が始まる時期に備えて人手を集めるときに一時金を契約前金として払って周るときの札束の入ってたカバンなどもあって、たいへん興味深い。隠し部屋のある二階と比べると二階は狭い部屋で天井などに屋根裏感が残っている。掃除やまかないなど全般を行う使用人の部屋だったと思われる。開拓の村の旧青山漁家住宅にも同じような階段があるが、それは現在あがることができない(同様に使用人の部屋として使われていたようである)ので、ここは実際に目にできる貴重な二階。
掛けられているクマの毛皮のは1850年代から網元や船頭が好んで着ていたらしい。荒々しい海の男にクマの毛皮がよく合っている。実際温かかったそうだ。内側がふさふさになっている上着で、手足の部分は展示で分かりやすいように折ってくれてあるのだと思う
正面からみて左端側面にあるのがこの勝手口。辺見たちが入ったのがこの「裏の勝手口」だとしたら、目の前に二階にあがる漁夫用のはしごがあるのが良く分かる。
そして今ご紹介した「もう一つの2階へあがる階段」(使用人用)もここから上がったら先に目に入っていたはず。だが真っ先に屋敷の一番奥にある隠し部屋へ続く階段を上がろうとしているのもまた、辺見は何か知っていたのではと興味深い。
その他の入口は現在入口として使われる一番大きな玄関と、他に親方家族専用の玄関というのもあった。ここの方が若干絵に近い気もする
杉元「勝手に裏から入っていいのか?」
辺見「緊急避難です」
ゴールデンカムイ第40話 『ニシン御殿』より
ここを裏口のモデルとするならば隠し部屋へ続く階段はたいへん近い(実物は正面側にある)
以上三記事に渡り隠し部屋のある鰊御殿を寄り道さんぽさせていただきました。
紹介しきれなかったこの御殿の魅力は改めていつか「小樽市鰊御殿」として紹介したいと思います。
ここまでありがとうございました。