今回は廣瀬写真館を巡ります。こちらの建物も、おなじみ北海道開拓の村にあります。
廣瀬写真館は作中大きく分けて2回登場しています。
【北見】
土方歳三「あの二人の写真を撮って誰かに調べさせよう」
ゴールデンカムイ第124話『思い出の写真』
作中北見のとある写真館として登場する廣瀬写真館。実際には大正末期の建物で岩見沢にあった写真館です。
杉元「アシリパさんの写真をフチに送ってあげようと思ってね」
ゴールデンカムイ第124話『思い出の写真』より
思わず息をのむような美しく柔らかい陽射しの入る建物。二階の屋根北側半分を思い切ってガラスにしたような造りで、移築時に方位を本来とずらしたのでなければこのガラスは敢えて北側になるよう設計されています。
南側だとこの柔らかい陽射しが入り込まずうまく写真がとれないのかもしれません。
無数の白い小さなカーテンで光量が調節できるようになっており、さらに脇に少し見えているのですが黒いカーテンもあって無限調節可能な感じになっていました。
この日は雪が積もってさらに白っぽい光になっていました。岩見沢といえば豪雪地帯なのですが、このガラスは暴風雪でも大丈夫だったのでしょうか。
この部屋は建物の2階にあります。開拓の村は二階にあがれる建物が減る一方ですが、ここに関してはあがってこその建物なので多少無理をしてあがらせてくれているのかもしれません(そんなにギシギシ傷んでいる感じはしませんでしたが)。
写真師田本研造「いいよいいよぉ」
谷垣源次郎「すみません 本当に脱がなきゃだめなんでしょうか」
写真師田本研造「ほかの人たちはみんな脱いだよ?」
ゴールデンカムイ第124話『思い出の写真』より
こちらは10年以上前に撮ったもの。1枚目の画像と比較して看板がまだ古いのが分かります。今は全体的にも塗り直しているようです。開拓の村ではどの建物も定期的にこうしたことをしながら保全しています。
古い建物なのは皆承知で見学しているので、なんとなく看板くらいは古いままでもよかった気もします。直した方が”当時そのもの”を疑似体験出来るという考え方もできますが。
おそらくですが作者の野田先生が取材した時はこの塗り直す前の看板だったのかなと、作中のシーンを見て思います(看板の木枠が目立つ感じが似ています)
(写真館の前にて)
杉元「そういや白石はどこへ行った?」
永倉「石川啄木と遊郭へ行ってる」
ゴールデンカムイ第124話『思い出の写真』より
永倉は石川啄木がお手柄な時は正当に評価しますが、一方で結構辛辣なことをいっていますね。バッタになればいいのにとか…。石川啄木の素性が垣間見える話を聞くと個人的に永倉と似たような感想を持つのでやけに永倉に肩を持ってみてしまいます。ただ短歌の最高は類を見ないので偉大には変わりないのですが。
建物内には上記の部屋の他、このような現像室があったり…
家族の衣装というより貸衣装なのではと思うような着物が並んで展示されていたり(よそ行きを持たない人にお貸ししていたのでしょうか)
古い写真が並んでいたりして良かったです
写真師「うん 良いですね いい感じのお二人です」
ゴールデンカムイ第124話『思い出の写真』より
鶴見中尉がロシアに長谷川として居住している間の建物も廣瀬写真館のように見えます(左右反転)
長谷川(鶴見)「『維新の三傑』 革命を成し遂げる中心的な役目を果たした三人のことです」
ゴールデンカムイ第178話『革命家』より
写真館の外観は細部少し変えて登場しているように思います
長谷川(鶴見中尉)「ただいまフィーナ」
フィーナ「お帰りなさい」
ゴールデンカムイ第177話『長谷川写真館』より
この回で鶴見篤四郎が妻と子を置いた家に火をつけて立ち去るときの顔が、第80話の一番最後のコマで月島が江渡貝くんからの言付けを鶴見中尉に告げて立ち去るときの顔とゾクっとするほど同じで印象的でした。普通ならとても耐えられないようなことを全て飲み込んだ男の顔…