前回からの続きです。動画派の方はこちらをご覧ください。奔別小学校、幾春別小学校、奔別神社を探してゆっくりお散歩しております。記事はこの下に続きます
さて、前回月見坂を上がり始めましたが、今回は学校までグイグイ進みます。
坂を上がるにつれて草木の勢いもすごく、道幅がどんどん狭くなっていきます。
コンクリート舗装がなかったらとっくにこの先は行けなくなってしまっていたであろうと思われます。元は二車線道路分の幅があったように思われます。
そして、見つけたもの。これはちょっと感動でうるっとしました。
古い古い街灯(だったもの)です。柱とその付属品のみで、もう機能はしていませんが、森の中に街灯があるということはやはりここに坂道があったのではないでしょうか。
夏の森はたくさんの葉が風にゆれる音と鳥の声で思いのほか賑やか。そんな中を歩き進めると、あまりのひと気のなさと予想外の「がさがさ」「ざわざわ」と草木が一部動く音が気になるようになりました。近くに動物が潜んでいる…?と怖くなり一度戻って車で再度坂の上へ向かいました
よくよく見ていくと1本目の街灯から少し離れたところにもう一本街灯がありました。こちらは蛍光灯や電球のようなものはないものの、真っ白いコードがまだ残っていてぶら下がっていました。コードが新しいような白さだったので、割と最近まで蛍光灯?も残っていたのかもしれません。ここが小学校へあがっていく児童と教師専用の坂道だったのではないでしょうか。
どんどんあがっていきます
月見坂を登るとロータリー付の交差点のようになっており、月見坂以外の三方向は通行止めでした。
ちなみにこのロータリーは古い地図にもありました。舗装も目印もないものなので多少の違いはあるかもしれませんが、しっかりした建物が多数跡形もなく消失している中で、舗装もされていないこのロータリーが残っているのはなんだか不思議な気持ちでした。古地図ではこのロータリーのあたり一面が建物だったことが印象的です。びっしり炭住でした。学校のぎりぎりまで炭住。斜面にもたくさんの炭住。それらがなくなり今では草が生えるどころか山に還っていっています。ここから先中の沢方面への道はとくに、通行禁止の門がなくてももう入れない程草木が生い茂っていました。
何もかも草木に埋もれてその門すら見えなかったりと寂しい気持ちになります。これより先はもう辿れそうにありません。なにかこのあたりで炭住とその暮らしの足跡を見られたらと思いましたが、ゴミもみつけられないほど山になっていました。とりあえず月見坂を引き返そうとロータリーをぐるりと回っていると、通行禁止の看板が出ていない小路が一つ。
この小路の先はちょうど学校があった場所です。歩いて行ってみることにしました
舗装はされていない道なのであっという間に草木で埋もれ入れなくなりそうなものですが、この道はどうやら車で使用している形跡があります。
歩いてあがっていきます。わざと砂利を踏む音をオーバーにして、森にいるかもしれない動物(とくにヒグマ)に存在を伝えました。動物は本来襲いたいのではなく不要な戦いは避けるために存在さえ分かっていれば鉢合わせしないようにあちらから避けてくれるという話をよく聞きます。クマよけの鈴を鳴らせもその一つですね
ザクザク音を立てながらあがっていくとそこには…
広大であったはずの、大きな小学校が二つならんでいたその敷地は、広大な堆石場として使用されていました。近くのダム工事関係でしょう。
大きな校舎跡地も広い運動場跡地も埋め尽くさんとする見渡す限りの石の山。
しかしこの夥しい数の石が、ここにどれだけ大きな小学校があったかを教えてくれているようでもありました。これがなければ更地はあっという間に森になってしまい、学校跡地にはこれなかったかもしれない。画像右奥が幾春別小学校跡地。手前が奔別小学校跡地。二つの小学校跡地は今一つの堆石場となってつながっていました。もともと運命共同体のようだった二つの小学校、これも何かの縁とでもいうべきでしょうか。
さて、何でもいい、ここが学校であったという痕跡に触れられたらうれしいし、見てくださった方も懐かしさに触れられるかもしれない。そんな思いでいたのですが…
とても長くなってしまいました。見つけた学校の痕跡、続きは次回に。今回もさいごまでありがとうございました。
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“奔別小学校跡地を探すさんぽその2―なんと今も残る街灯、そして見つけた小学校跡” への1件のコメント
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