その1に続き札幌村だった場所を歩いています。
雪に閉ざされた札幌村郷土資料館。
閉ざされた と書いてはおりますが実際はあちこちに配慮ある雪かきの跡が見え、ちゃんと手入れされているのが分かります
資料館の外観。
一軒家風ですが、コンクリート製っぽくてしっかりしていて中も結構広かったです。
大友亀太郎の銅像付近も、必要なものが見えるように雪かきされています
雪の付着がないように石碑には透明のシートが被せられていました(そのため光ってしまってカメラには映りにくいのですが実際に訪れた方々には助かりますね)
こちらはタマネギ栽培発祥の地を示す石碑。タマネギを最初に栽培したからなんだと思われるかもしれませんが、農民たちが最初は英語でアメリカに倣い試行錯誤でここまでおいしくするのにたいへんだったようです。最初こそ海外に倣ったタマネギですが札幌黄が海外に渡るまでになりました。詳しくは後日。
ひと気のない知らない場所ってなかなか勇気をださないと入れません…。資料館とかいかにもしっかりしてますって感じのところですし。エイヤっと入館。
消毒液が肩に入った力を良い感じにほぐしてくれます。しょうどく太子。
スリッパに履き替えて入館すると案内の方(館長さんかも?)がいらっしゃいました。先に入られていた方に熱心にご説明されていて、私はいい感じにそのお二人の横で一人写真をとりながら見ています。
以下一階の様子です
↓この書初め。明治って書いてありますよね。これは再現でしょうか、それとも本当に当時のものなのでしょうか……
展示室は2階にもあります。タマネギ栽培の歴史に関するものは2階が主になっていた印象です。
2階の様子↓
こちらの札幌村というのは日本におけるたまねぎ栽培発祥の地で、館としてもそれがどうしてもメインとなってきます。札幌村の歴史を話すということはたまねぎ栽培について話すことと深くシンクロするのです。その玉葱栽培については2階が主な展示場所になっておりまして、私は案内の方が先客の方に一生懸命説明されている横をそっと抜けて二階にあがろうとすると、わざわざ説明を中断して二階の電気を一通りつけてくださいました。申し訳ないです。
そして戻って行かれたあとまた階段の地図や二階の展示をマイペースに見学。どれも古いもので私にはわくわくがとまらない場所です。
これとか初めて見ました。おもしろいですね。大正時代の診察券。
木製だったのですね。明治時代の診察券(本州の病院)を見たことがありますが、そちらは紙製でしたが、診察券って長いこと使うのを加味すると木製なかなか良いのではないかと思います。雨の日に落としてもそう簡単にはダメになりません。北海道は本当に森を開拓するところからはじまるので木で間に合わせるのは理にかなっていたのかもしれません(大正時代までくれば開拓も一通り進んではいるのですが)。なくなりにくいし本当にいいなと思いました。
そしてだいぶ経ったころ先のお二人が2階に上がられてきて2階での説明が始まりました。案内の方がとても博識なのが股聞きでも伝わっています。ローカルな資料館にこれほどまでに勉強された方がいらっしゃることが同じ道民として心強くもなります。
だいぶ時間を忘れて展示物に見入っていた頃、案内の方が「何かご質問等あれば」と私に声を掛けてくださいました。おそらくは札幌村の歴史に関係する質問を想定していたであろうと思われますが、私はとんちんかんにも「一階のいろりの部屋のところにある書初めは実際に明治のものなのですか」って聞いてしまったんですよ。本当になんたる頓珍漢な質問。どうでもええやろ。
いや、今思えばあそこは明治の暮らしの再現コーナーなので再現でしょうね。でもあの空間には明治の本物が本当に所せましとならんでいて、その中に明治〇年と書かれた書初めがなんのケースに入る訳でもなくしれっと貼ってあって、なんだか本物のように感じられたのです。赤い墨で「甲の上」など書かれてあったり「試筆」など書いてあったり……明治時代の紙が残っているってすごいなと思ったんですよ。書き終わった半紙なんてかまどの火をつけるときの燃料にでもなんでも使えるじゃないですか、だけどそれをずっとどこかの家でとってあって、資料館に行くにいたったんだなぁと。
そんな私の頓珍漢な質問にも丁寧に答えてくださり、いつ書かれたものかは分からないけれど昔は1月2日に学校に集まってみんな寒い中震えながら書初めをしていたんですよというようなお話をしてくださいました。私の的を得ない質問はとどまるところをしらず、「これびっくりしたんですけど、すごいですよねぇ…今では作ろうと思っても逆に高くて作れませんね」と。
それがこちら。米びつです
すごくないですか。天然木を深く深くくりぬいて…こんな米びつに!おしゃれ!
「そうですね天然木を一本まるまるくりぬいて…板にすればたくさんの木材が生まれていたから今としては考えられない贅沢な使い方ですけどね、当時は本当に木が(あまりにたくさんあって開拓して畑を作る上で)邪魔だったんですよ…本当に…木しかないんですから…」と、答えてくださいました。これ、幼児まるまる収まってしまうくらい深く彫られていて、下の方どうやって彫ったのでしょう?中にも入れ子のように洗面器くらいの同じく天然木をくりぬいたものがはいっていました。
札幌村郷土資料館はたいへんおもしろいものがたくさんあって一度にはご紹介しきれないのでまた続きは改めて。へえ~というものが続々登場します。どうかお楽しみに!
“令和の札幌村を歩く。その2|郷土のお宝拝見、札幌村郷土資料館” への1件のコメント
[…] 前回からの続きです。札幌村郷土資料館。今後折に触れ通いたくなる面白さです(個人的にはですが)。 […]