サイロというのは、北海道の景色として代名詞の一つでもありました。広々した牧場にシンボルのように建つサイロこそが酪農王国北海道の「よくある光景」でした。
現在サイロというのはほぼ使われていません。「全く使われていない」と言ってもいいくらいなのですが。趣味を兼ねたり実験的・実習的に使っているサイロもあるかもしれませんが、牛さんたちの(主に冬期の)食糧庫として大切だったサイロは、今は牧草ロールをビニールで巻いておけば同効果が得られると分かり使う必要もなくなったようです。
なので今道内にあるサイロは「残っている」「残されている」のどちらかであることがほとんどで、当然その数は減っていく一方です。あそこにサイロあったのに…ということが本当によく増えました。
そんな訳で少しずつサイロのある風景をアップしていけたらと思います。
第一回目はこちらのサイロ。
滝川方面に向かうときにいつも見かけて思いを馳せるサイロです。
サイロに特徴的な屋根がないのですが、このあたりもまた酪農をやられていて牧場が広がっていたのだなと思うのです。所有者さんにとっては何かしらの思いがあって壊せない、壊さないという気持ちなのかなとも思ったり。歴史あるものですしね。
赴きあるレンガのサイロです。「赤いサイロ」という名前のお菓子が北海道にありますが、その赤とはこのレンガのことでしょうね。明治期だと石造りの白っぽい色のサイロも多いですが、江別や札幌市中央区・白石区等に煉瓦の工場が出来てからでしょうか、レンガのサイロというのもたくさん作られました。
こちらのサイロは田畑の中にあるのでこれ以上近づくことができません。広い景色の中にあるので小さく見えますが、少なくとも取り出し口が三つありますからね。
実際はなかなかの大きさかもしれません。少なくとも家族経営の酪農をするには十分な大きさでしょう。年代は不明。サイロも明治期から昭和まで割と幅広いです。札幌に関しては昭和40年代に入り使われなくなるというパターンが一番多いです(農業を辞めて土地を売ったりマンションを建てるなどのパターン)が、こちらのサイロはいつまで使われていたのでしょうか。またこの姿が見られますように。
※ここでいうサイロとは酪農で使われる家畜食料貯蔵庫としてのサイロです