すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その5


その4からの続きです。

今回の玉垣はこちら

〇の中に文 のマーク?があるこちらの玉垣

読み取るのが難しいですね…ちょっと加工してコントラストをあげてみます

ついでに輝度をあげて石のガタガタから見える影をなくしてみます

やはり削れで一文字一文字が全ては見えない状況。

彫が残っているところだけが浮かび上がりましたが、無知な私にとってはヒントが少ないです(泣)。

右に小さく「魚政」と書かれている気がしますがどうでしょうか

上には屋号、〇に文と書いてあるように見えます。右には小さく

「魚政」

と書かれているようにも見えました。玉垣を寄進できるほど流行っていた魚屋さん、お寿司屋さん、もしくは魚屋からはじまって大規模商店になったところとか料亭とか…とりあえずこのマークと魚政を頼りに地図を探しますが、遊廓から離れたところまで見てもこれだと思えるものには巡り会えませんでした。二条市場は昔、今の二条市場の向かいにあったと聞くのでその辺りも見てみましたが、らしきものはなし。玉垣が作られた時期と地図が作られた時期に10年期間がありますがその間になくなってしまったお店なのでしょうか。

しかし、今でこそ大通近辺と同じように栄えているすすきのですが、明治の地図を見ると大きな差があります。今の丸井今井~狸小路のあたりは本当にギュウギュウにお店やホテルなどがありますが、薄野はたしかに政府が遊廓作るまではなにもなかったのだと言われて納得するような雰囲気があります。

屋号らしきマークの下は何の文字か

次に屋号の下一文字目、赤の罫線部分の文字。上だけ見ると冷凍・冷蔵の「冷」に見えるのですがもっと大きい文字だとすると「終」の字にも見える。ただ最後の郎の字とのバランスからしてこれは二文字だろうと考えるのが自然か。下の方に貝の文字の下にあるハの字の点々が見える。貝、黄、頁、渋のような文字だろうか。ハのように見えるだけで、ここだけ削られずに残っているというだけの可能性もある(この玉垣は特によく削れている為)。その下の文字はさらに分からず…何文字あるかもスペースからの推測で〇〇〇六郎 とだけしか分からない。

ただしこれもまた店らしきものを構えている男性の名前であって遊女の玉垣ではなかった。次回に続きます。


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