前回の記事でご紹介した絶対に渡れない橋ですが、その袂付近に有島武郎の邸宅跡地という標があります。豊平川の河原を降りたところです。
上の画像、後ろに前回ご紹介した「渡れない橋」が見えています
この二つ並んだベンチのところに、一つの標があるのですが…
ここが昔有島武郎の邸宅だったことを示しています。写真も載っていますね
ん、この建物は開拓の村で何度かみたことあるぞ
(この建物はゴールデンカムイにも登場します。鶴見中尉が有坂閣下を出迎えるシーンですね)
大豪邸と言うものではありませんが、それでも十分に大きくオシャレな違い棚なんかもあり、「子どものいる新婚家庭の(当時の)お金持ちの新しい家」という雰囲気でした。有島武郎はおしゃれな家を建てたものだなと思っていましたが、この看板の説明によれば建てたのではなくこの建物を借りていたようですね。
住んだ期間は1年ちょっとで、以前にもっと長く住んでいた人(そしてこの家を建てた人)がいたはずですが「有島武郎の邸宅」として保存されています。
有島武郎はここ以外にも「有島武郎邸宅跡地」があります。北大のすぐ近く、札幌市営地下鉄南北線北十二条駅の上あたりに。
そちらも現在は碑と標のみが残り邸宅自体は現在札幌芸術の森に保存されています。北十二条の方は敷地のスペース自体も広場っぽくして残してあるように見えました。
芸術の森に保存されているほうの邸宅は、開拓の村のものよりもずいぶん大きく感じますし自ら設計したというから特注の家みたいなもので高そうですね。でもそちらも確か数年間しか住んでなかったはず。
それでですね、この邸宅跡地標は、ぱっと見邸宅があった跡地の上に建っていると思うじゃないですか。でも看板を読みますと
現在地から…真向かい約20mのところ…
ここかな…河川敷の脇にあったのかな…
いや、道路の向かいと書いてありますね
ここだ…!!!
あ…!この木は……!!
もう周囲は新しい建物や背の高い建物に囲まれてしまっていますが、札幌市の刊行物にこの木が有島武郎邸の撤去後もそのまま残ったと載っていました。真後ろにあるビルと木の右側にある建物も同じです。この木だけは今ものまま残っていたんですね。
私の借りた家は札幌の町端れを流れる豊平川といふ川の右岸にあつた。その家は堤の下の1町歩程もある大きな林檎園の中に建てゝあつた。
有島武郎 「生まれ出づる悩み」より
少々奥まった位置にあることも含めてまったく同じです。おそらく間違いないでしょう。あの木の奥にあったのが有島武郎邸。当時から木に少し隠れるようにしてあったのでしょう。
当時は周囲がりんごの木だらけだったという本人談が残っているのですが、それはこの近くにあった白石遊廓がりんご畑の土地だった場所に出来たこととも一致します。有島武郎は白石遊廓ができるより早く住んでいるのであたり一面本当にりんごの木ばかりだったはずです。
有島武郎は農業に憧れが深い方だったので、この辺りの見渡す限りりんご果樹園といった風情を結構気に入っていたのではないでしょうか。
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[…] 豊平川のほとりにある有島武郎邸宅跡、標だけが残っていると思われているが実はまだ実際に残っているものがあった↗ […]