2023年9月初旬、旭川駅前あたりを散歩した時の記録。
今年の北海道の夏は暑かった…例年、猛暑のニュースが流れてもどことなく他人事のように聞いたりしている夏だったのですが、今年はとんでもなく暑い日々が長かったですね…去年は本当に暑いのは数日だったような…
そんな中、なんとか夏を乗り切った9月、旭川を少し散歩しました
広く、新しく、きれいな駅。
最初に旭川に来た時は駅舎が先代の建物だったような気がします(2000年代後半)。あまり駅舎なんて気にならない時分でしたので記憶があいまいですが、高さはそんなに変わっていないように思えるのですがこんなガラス張りの大きな駅舎ではなくて、2階くらいの白い鉄筋の建物だったように思います。北国特有の少し寂しい感じが良い雰囲気の駅舎でした。きれいになりました。
このレンガを模したような赤茶のタイル(?)もなく普通のアスファルトだった記憶です。広い空間にガラス張りの駅舎と赤い歩行空間でとても明るくなりましたね。
駅直結のイオンモール旭川駅前店も大きくて立派で造りがおしゃれでした。以前来た時は駅ビルはあってもイオンではなかったような…?エスタとかそんな感じだったような気がします。その時も建物のつくりやテナントに「旭川はおしゃれ」というイメージを抱いていましたがこのイオンもおしゃれでした。
いままでイオンは全国どこも同じつくりで違うのは大きさくらいだと思っていたのですが、運営する会社が違う(イオンではなくイオンモール)からなのか内装もエスカレーターの位置もなにもかも「おしゃれ」でした。新しい旭川駅直結のイオンモールであることも意識した結果なのかもしれません。普段イオンではみかけないテナントもあり良かったです。たとえば珈琲&輸入食品のお店がイオンで鉄板のカルディではなくジュピターコーヒーだったり。
旭川を紹介するようなコーナーもあったり駅前を一望できるようなスペースもあって。色々となんだか羨ましいイオンモール旭川駅前店。新鮮でした。
さて、駅からまっすぐに伸びているのが旭川名物といっても過言ではない、買物公園通り。正式名称は旭川平和通商店街振興組合 旭川市買物公園。
画像手前の三本のポールが物語る通り、ここは歩行者天国です。
この駅からまっすぐ伸びる幅広い道路を恒久的な歩行者天国にしたのは1972年。当時全国初だったそう。50年の時を経て、もちろん幾多の店が入れ替わりご多分にもれず大型店舗の閉館などが相次いで起こりますが、それでも明るい陽射しの中多くの人が行き交っていました。
ここはかつて西武旭川店があった場所ですね。ツルハが「ツルハ旭川中央ビル」として新しく建設したようでホテルも入っています。ツルハもおしゃれな造りの店舗で好印象でした。店内には北海道土産品コーナーもありました。ちなみにツルハは旭川発祥です。
コメダもありましたね。
ところでコメダ珈琲が全国に広まっていき人気を集めたのはここ10年くらいでしょうか。昔コメダ発祥の地愛知県に住んでいたのですがその頃は若者から「コメダ行こう」という声があがることは皆無でした。コメダは愛知とその近隣県にはまあまあたくさんあったのですが、中年以降の人々が行く場所と相場が決まっていたのでした。なんなら若者は入りにくい雰囲気すらありました。愛知県の珈琲文化に憧れていた私は何度も周囲をコメダに誘ったのですがそのたびにいやいやスタバにしよう、ドトールにしよう、カフェドクリエもいいよとやんわり断られていたので愛知以外にまで進出するようになったあたりから嬉しくて仕方なかったですね。ありがとうコメダ。豆おいしいね
話が思い切り逸れました。散歩を続けます。
右に見えているfeeeal(フィール)旭川。かつてはここが丸井今井旭川店でした。
今でもたくさんのテナントが入っていて地下はデパ地下さながらの雰囲気を保ち、かなり良かったです。駅前イオンモールも良いですが是非お散歩兼ねて立ち寄って欲しい場所です。札幌都心部でもデパートはデパ地下以外人がいなかったりする昨今、だいぶ賑わっている印象を受けました。小さなお子さんを遊ばせるのに楽しそうなもりもりパークという素敵なコーナー(コーナーと呼ぶにはあまりに広いくらい)もありました。そういった市民の施設が多く入っているのが功を奏しているのかもしれません。
丸井今井旭川店は112年間続いたそうで、旭川自体が早くから栄えていたことが分かります。明治時代の北海道を舞台にした漫画作品「ゴールデンカムイ(野田サトル作)」にこんなセリフがあります
杉元「ずいぶんと栄えているな
港町でもない北海道のど真ん中なのに」
ゴールデンカムイ 第97話 旭川第七師団潜入大作戦!!
本州とのつながり的にも港町が栄えるのはよくあるパターンなのですが、明治時期だというのにこの旭川は早くから都市化していきました。ロシアの南下に備えこの地旭川に巨大な軍の施設(第七師団)がつくられたことが大きな要因です。
作中には師団通りも描かれ、その両側には明治期に既にたくさんの店が立ち並んでいる様子がわかります。「軍都・旭川」として紹介されています。大きな木造二階建て店舗や立派な石造りの建物などが並ぶ旭川。背景にこちらのお店が登場しています
マルカツデパート。作中ではマルカツ食堂として背景に登場していますが、実際の創業期は大正なのでちょっとずれますが、この老舗デパートは旭川とずっと共にありました。
長崎屋旭川店…1992年に郊外移転
旭川丸井今井店…2009年閉店
エスタ旭川…2012年閉館
西部旭川店閉店…2016年
という中でマルカツデパートは2022年まで営業していました。現在の建物はおそらく昭和46年に建てられたものをずっと使用していたのだと思います。昭和47年に、このマルカツデパートがある通り買物公園が歩行者天国になった式典が開かれていますが、この現在の建物と同じマルカツデパートが映っています。当時すでにガラス張りの2~3階部分。最新の建築技術といった感じの建物です。でも老朽化はすでに起きており、水漏れなどの事案も発生していたようで、どのみち閉館は決まっていたのですが、諸事情もあり急遽閉館が早まりました。最後は名残惜しむ間もなく慌ただしく閉館した感じです
閉館から1年たち、まだ建物自体はそのままでした。一見廃墟にすら見えない立派なその姿はなんなら買物公園通りに華を添えているようにも見えました。急遽の閉館でしたので各店舗看板も掲げたままで、ラルズ(北海道大手スーパー)なども入っていたことも伺え、紆余曲折ありながらも地域に密着していたマルカツデパート。諸事情あり解体も目途がたたないのかもしれません。
永らく旭川市民(のみならず周辺住民も)のステータスだったマルカツデパートですが、建物がまだ残っている分惜しい気持ちもありますね。老朽化で閉館が決まっていたところを考えると居抜きでこのまま建物が使われることは難しいかもしれません。
北海道屈指のデパート丸井今井が進出しながらも最後は丸井今井より長くこの地に残った、ある意味で最強だったマルカツデパート。おつかれさまでした。
買物公園通りは、古い写真をみるとぎっしりとパラソルが並んでいたりする。買い物だけでなくいこいのスポットとなるよう当時からいろんな企画があったのでしょうか。この時もパラソルは閉じていたもののオープンカフェのような雰囲気のテーブル席があり、ベンチも多数あり買物”公園”というだけの雰囲気がありました。以前は遊具や噴水もあったようですが今回は見かけませんでした。
旭川駅前さんぽは次回に続きます。ここまでありがとうございました
旭川駅