このあたりも「山鼻地区」と呼んでいいのだろうか。
狸小路商店街にほど近く、すすきのも目と鼻の先という感じの場所にある。すすきのの一角といってもいいのかもしれない。周囲の景色はビルが目立ち、それでいてすすきのの中央から少しはずれたこの辺り一帯はとても静か。
そんな場所にこの「札幌祖霊神社」はあった。

季節は11月。木々がそれぞれの色に紅葉し美しい。

※詳しい場所はこのページの一番下にGoogleマップをリンクを張っておきますのでご覧ください
この神社、なんと明治四年からの歴史をもつようで。北海道で明治四年といったらそうとうなものだし、ましてや札幌で明治4年といったら本当に薄野遊郭がはじまったのと同時期で、有名な東京楼とかもまだ入ってきてない頃のことです。
まだまだこの辺りにはなにもなかった頃のお話。
開拓の歴史が始まろうとしているころ、札幌が正に動き出そうとしているころに建立された神社と言えます。札幌の中心地にあって開拓の全てを見てきた神社。

そのため明治四年と明記されたものは見当たらなかったが明治三十六年と書かれた石灯籠を見かけた。

北海道を歩いていて思うのは、神社・お寺と言うのは開拓民にはなくてはならないものだったのだということ。「なにはなくとも神社を、お寺を」という思いが伝わってくることが多々ある。その地その地の相当初期の頃に建てられた経緯を持つことが多い。
村に何もない時代から、作物もまだ十分にとれる環境にもない、明日の食べ物も不十分な中で、人々は自分の暮らしを差し置いても寺社を熱望していたようで。故郷から遠く離れ(そのほとんどの人はもう帰れない覚悟)、厳しいこの地で精神面の安定を求めるのは当然の流れだったのかもしれない。自分の家をお寺に使ってくださいと差し出したエピソードもある。
こちらの神社は黒田清隆(二代目総理大臣)の命で建てられたこともあって正に北海道開拓の歴史と共にある。一番それが端的に表れているのが社紋で、なんと開拓の五稜星そのもの。なのでこちらでおまもりを授けていただくとかっこいいですよ。ででんと大きく開拓の星マークのお守り。

そんな訳で実際目にしてみると決して広大ではない敷地に歴史を感じるものがずらりとある。
現時点では特に観光名所という訳でもないが、その観光名所ではない場所こそ我々散歩好きにはたまらない場所でもある。
写真で見ると横幅は狭く見えますが、奥に結構続いています。奥深い神社。
増設された歴史があるようです。

明治期の神社だからこそ、開拓使の要請で建立された神社だからこそかもしれない。
鳥居をくぐる前に見られる「祭政一致」の四文字。
これがこのようにはっきりした彫で残されているのはすごいことですよね。
石に彫ったとしても札幌軟石だとどうしても経年により削れてしまいあまり読み取れないというのが多いのですが…こちらの石はもしかしたら札幌硬石なのでしょうか。
明治政府の命で建てられたのならそれもあるかもしれません。札幌硬石は官営建築物によく使われた固くて立派な石。
祭政一致というのは読んで字のごとく祭(宗教面)と政(政治)が一体化しているということ。これは明治政府の方針だったので、この神社の歴史、時代がよく表れています。今でしたら政府が神社を建てるということはないですが、黒田清隆の命で建てたというこの神社にはこの四文字があるわけですね。ついになる玉垣には

こちらの神社は「札幌祖霊神社」であるため、
祖霊(家族の霊)を神として祭ることからこの文字があるのでしょうか。
神人無別 の文字です。こちらも珍しい四文字。
祭神には
天祖参神
天照皇大神
大国主大神
産土大神
天津神
国津神
八百萬神
とあり、副祭神に
皇霊神
各氏祖霊神
とありました。
その氏神祖霊神のことからこちらの「神人無別」の四文字が彫られているんだろうと解釈しました。
ちなみに明治34年刊行の「稿本国史眼」にこの言葉が出てきます(卷ノ一 第一紀 神人無別ノ世)。難しくて良く分かりませんでしたがその後「第二紀 神人有別之世」と続くので、国史以前は神と人に区別がなかったのでしょうか。明治に刊行された本の言葉が出てくるのも、明治政府の方針が刻まれているのも、時代を反映していますね。
もともと黒田清隆がこの神社を建てたのも神道信奉者の祖霊祭祀のためと言われているのでおそらく祖霊神を指す言葉なのだろうと思います。開拓にささげた人が開拓の神となってこの地を見守っていると。
開拓者に寄り添って鎮座してきた神社。まだまだなにもない札幌、今より北海道の冬が比べようもなく厳しかったころの人々にとって、どれだけ心の拠り所になったか伺い知ることが出来ます。

きっと春の神社も美しい
一礼して鳥居をくぐると




社殿、しめ縄の奥に隠れてしまっていますがこちらにも開拓の五稜星が見えます。開拓のシンボルであった五稜星が社紋となり現在も受け継がれています。


こちら側からこうして補強することで古くからの玉垣を残してくれているようにも見えました。
ところで、ここから先はなんの知識もなくさんぽがてらのお参りで思ったただの感想なのですが、社殿周りの石がさきほどからところどころ黒いことに気が付いきましたでしょうか。

そして上の玉垣、私にはところどころ黒っぽく見えたのですが…
上の方で乗せている「祭政一致」の画像も、「神人無別」の画像も、明治三十六年に寄進されている石灯籠も、一部石が黒いのです。
昔から火事というのはとても多かったのですが、この神社にも過去に火事により社殿が焼失するということが起きています(明治44年)。その歴史でこういうふうに一部黒く色がついているのでしょうか。だとすると石ってやっぱりすごいなと。火事も乗り越えて現在に至るのだから…などと考えながらお参りしていました。
神社の歴史を読むと火事が起きたのは明治44年。「玉垣・石垣建造」は大正8年となっているので、火事はその玉垣が出来る8~9年前だったんですよ。なので石の色と火事は関係ないのかもしれませんが、昔は地面の上に直接玉垣があって、それを石垣の上に乗せて作り直したたのが大正8年のなのかもしれません。そして手水舎の石の色も一部色が黒くなっていて…まあこれも流れる水の中の成分により色が付いた可能性もあるのですが。火事のあった明治44年より前、明治三十六年と刻まれた石灯籠も下の方が黒い感じがあります。
まあ考えすぎかもしれませんが、歴史ある神社だけにいろいろ思いを馳せるところが多かったです。神社の方にお会い出来たら色々歴史を伺ってみたいです。
奥が深い神社、つい熱が入ってあれこれ語りましたが、すすきののちょっと裏手にこんな静かな歴史ある場所があるので、お散歩コースにいかがでしょうか。
札幌祖霊神社の場所



“今では珍しい石に刻まれたこの四文字。札幌祖霊神社で静かに明治に触れる散歩” への1件のフィードバック
[…] 以前散歩した、狸小路の西端に程近い札幌祖霊神社の近くを歩いていると、急に現れる美しい木造建築。 […]