今回はこちら。先に結論から言うと今回も遊女の名前の玉垣ではありませんでした。(前回はこちら)ただ今回は謎が多めです

おそらくお店が出した玉垣である
〇〇商店、であるので遊女の玉垣ではないのは確実なのですが、明治33年にもなるとこの界隈には無数に商店があって、現在も古地図で一個一個みているのですがこれではないかというものをまだ見つけられていません。見ていくうちに薄野を遠く離れてしまうのですが今までの例でいくとやはり近所が多いんですよね。
なんてことで、現在進行形で探し中です。
屋号は立か二か
屋号(マーク)も現場で見た時は間違いなく立という字が〇で囲まれていると思ったのですがこうして画像でみると「二」にも見えてきます。他は削れてできただけで文字の彫りではないのでは?と思えてきております。
だとすると創成川のほとり、「一の薬店」の向かい側の通り、遊技場の二軒隣に〇〇商店という屋号が似たお店が古地図に載っていますがこちらは地図上の漢字が読めず…この玉垣の雰囲気とは遠い気もします。他に田沢商店というお店もマークは近いですがこの玉垣の漢字から遠いですよね(一文字目、田ではなさそう。左斜めにはらう様子が見えます)。畳や神田 というお店もマークが近いですが畳とは読まなそうな玉垣の漢字。
1文字目は之という字にも見えるのですが、その文字で始まるお店が見当たらずちょっと自体が近い「大」で探すと大谷商店というお店もこちらの寺院の近くにありますがマークが違う。
2文字目は升という字にも見えるのですが該当するお店が地図にない…ということで現在も調べ中。現物ももう一度見に行ってきます。
とはいえ今回も商店ということで遊女ではありませんでした。情報ございましたらこちらのサイトのトップページからツイッター等でお寄せください。
薄野遊廓に思いを馳せながら玉垣をみる散歩シリーズ、次回に続きます。



“すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その11” への2件のフィードバック
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[…] 前回は謎が残る玉垣でしたが今回もちょっとだけほんのちょっとだけ謎が残っている玉垣なんです […]