書店巡りのために降りた環状通東駅。普段なら本当に駅近辺しか歩かないので札幌村があった場所としての魅力については気が付かなかったのです。
この駅周辺のイメージというと「まあまあ都会でちょっと歩くとおいしいケーキ屋さんがある」「ここのモスの店舗なんとなく好き」そのくらいでした。あとはもう普段は地下鉄で景色も見ないまま通り過ぎる駅です。
でも実際駅から離れたところまで歩いて見ると、これがまたちょっと面白くて。農業用道路だろうかという札幌には珍しい斜めにくねった道が残っていたり(札幌市内は大半がスパーンと区切られたまっすぐな道で碁盤の目をしています)、各所のお寺がそれはそれは大きかったり。古くからの街というのはちょっと気になるものでして、今回は予定が変わってちょっと時間が出来た(詳細はこちら)のを機にちょっと歩いて見ることにしました。

この辺りは昔「札幌村」でした。今は札幌市ですが、この札幌村が周囲を合併しながら大きくなって今の札幌市になったという訳ではありません。札幌村に隣接するような位置に札幌区があり、後に(昭和30年)合併されました。それと共に札幌村という名は消えます。
札幌村が先にあるのに札幌区ができあがる、この辺りちょっと不思議な気もしますが、やっぱりアイヌ語でこのあたり一帯が広くサッポロ(サツ・ポロ・ペッ)と呼ばれていたことが一番大きいでしょう。1600年代あたりからこのあたりがサッポロと呼ばれていたのが文献に残っているようなので、実際はもっと昔から呼ばれていたと思います。
この「札幌区」の方が現在の札幌市です。
札幌村のほうが先だと先述しましたが、それはこの村の歴史が慶応二年にまで遡ることから推測しています。札幌区の方は明治2年に開拓使が置かれたところから始まっています。これより前に札幌村のように発生していた村がいくつか(琴似、篠路など)あったようですがそれはまた別のお話としまして、私はずっと札幌のはじまりは明治2年と思っていたので慶応まで遡れるこの札幌村に深く惹かれてしまいました。
古くからの街というのはお寺や神社が多かったり立派だったりします。
これは全国的にそうでしょうね。古都には寺社仏閣が多いです
この(旧)札幌村もちょっと歩いただけで立派なお寺がありました。
法国寺 浄土真宗 東本願寺派

敷地もすごいですね。
近づいたらもっとすごかった

それでも雪で入れませんでした
冬期は冬期用の入口があるのでしょうか。出入りの形跡はありません。

門の中はもっと高く雪が積もっているようにも見えます

それにしても誰も踏み入れてない雪というのはきれいですね。純白。
明治15年建立。その当時からこの建物この敷地かは分かりませんが、札幌村と共に大きくなっていったお寺ではないかと思います。村にお寺や神社があることの安心感は住民にとって他には代えられません。開拓地はどこも明治の早い時期に神社やお寺を建てます。心の拠り所というのはそれだけ重要なのでしょうね。札幌村の人々の心に寄り添いながら札幌市となった現在も立派に在り続けているお寺という印象を持ちました。
札幌村郷土記念館

札幌村郷土記念館。札幌村の冠がついているのが(当たり前だけど)良いですね。この通りはもう見ての通り雪が高くて歩道が全くありませんでしたので車道の端を歩きました。今までは環状通東で降りてもこの道を通ったことはなかったので、こういったところがあるというのは実際初めて見ました。散歩の醍醐味。

北海道遺産の文字が見えます。雪が高くて近寄れず、詳細不明ですがおそらく大友掘のことかな?創成川のことです

2023年 大友亀太郎着任157年とあります。
157年。これは結構すごい数字でして。
「北海道」が2018年に150年だということであちこちで150年記念事業とかやっていたのです。
札幌村は2023年で157年となると、北海道より2年ほど歴史が長いことになります。まだ北海道になにもない時代、木々だけの地の時から札幌村は道に先駆ける形でここまでやってきた訳ですね。薬もない、道具も持ってきたものしかない、本州から遠く離れた地であれもこれも自分たちの力で築いてきたという特殊な歴史をもっています。

こちらが札幌村郷土資料館。非常に密度の濃い資料館というか結構個人的にはたのしい場所でして、長くなってしまいますので詳細はまた改めてご紹介します。たいへん聡明で感銘を受けた女性館長さん?(案内してくださった方)がいらっしゃっていろんなお話がきけました。

この館がある場所は大友亀太郎さんの自宅跡地のようです。幕府の役職として住まいを与えられているので正式には自宅というよりは「役宅」となりますが。

大友亀太郎さんの銅像。
本龍寺 妙見山 日蓮宗

資料館であれこれ話を聞いたあと、駅に行かれるならぜひ本龍寺を通って行かれると良いですよ、というお言葉をもらって、では是非にもと本龍寺へ。
札幌村といえば大友亀太郎さんなのですが、その大友亀太郎さん所縁のお寺本龍寺なのだそうです。開山は安政年間にも遡るそうで、慶応4年に大友亀太郎さんにより妙見堂が建立されています。

立派な門がいくつもありました。今回はこちらから入らせてもらいました。資料館の方にこちらの門で是非ご覧になってくださいと事前に勧められたのは上の画像左部に収められている三体ならんだ像です。

島義武と二宮尊徳と大友亀太郎が並んでいると教えてもらった気がするのですが…確証を持てないくらいに失念してしまいました。雪が溶けたら案内板が見えるかもしれません。また訪ねようと思います。
島判官は北海道の祖として分かるのですが二宮尊徳がなぜ?と思われるかもしれません。大友亀太郎は二宮尊徳の門下生だったようです。二宮尊徳を師として測量、土木技術を習得していたからこそ大友堀(現在の創成川)を完成させました。
二宮尊徳は「二宮金治郎(金次郎)」としてあの勉強する姿しか知りませんでしたが、ただただ本を読むに終始した訳ではなくて、実際その後成長した二宮尊徳は農業で村々を復興させたりしていました。そのための知恵と技術、実行力があった方で。さらに二宮尊徳が手掛けた農村復興はほぼ100%の確率で成功したという話がありますが、それは緻密な計画の中に道徳心(農家の経済状況を鑑みて農家に無理をさせない)が入っていたところにあるように思います。飢饉でたいへんた状況の農家に育ったからこそ、農民の痛みが分かっていたことが農業政策に功を奏したのですね。民衆の苦しみが分からず中央が無理をさせて破綻してしまうことは奈良時代の税制など昔からよくあるものです。
そんな二宮尊徳の門下で学んだ大友亀太郎も今に至るまでこうして慕われるところに、技術力のみならず道徳心があったところが見え隠れしています。人の価値は金銀財宝に富めるにあらずという言葉を残しています。


申し訳ありません、話がだいぶそれました。本龍寺境内もまた白い雪が美しかったです。木々の根元が雪に埋まっていました


山門の方は雪に閉ざされていました。くぐることはできそうにありませんでしたが、その閉ざされた感じが厳しい冬に堂々たる姿で格好良さを増していました。


山門の横に馬頭観音と思しき石碑が見えましたが雪で近づけず詳細分からず(画像左端)。こちらもまた雪が溶けたら見に伺いたいです。


こちらが妙見堂。陽を浴びて美しかったです。妙見堂を最初に建立したのが大友亀太郎さん…と思っていたのですがこの案内板をみるとこちらの建物は当時からかわらないのでしょうか

現在の妙見堂は〇代目 といった表記がないのと文化百選に選ばれているので、この妙見堂こそが大友亀太郎さんが創建した堂なのでしょうか。当時の状況をおもえばすごい大規模で豪華な堂です。
鐘もありました。

そんな訳で札幌村さんぽその1、まだまだ散歩しきれておりませんのでまた伺います。札幌村郷土資料館とても面白いところでした)についてはまた改めて。
法国寺の場所はこちら
本龍寺の場所はこちら


