奔別小学校跡地を探すさんぽその4―今回は学校から奔別神社へ

前回からの続きです。動画派の方はこちらをご覧ください。記事はこの下に続きます

前回学校跡地に残るものを見ましたが、今回は月見坂をおりて奔別神社を探します。

すっかり空き家更地の多くなった幾春別市街地を一度抜けます。古い古い地図や写真でもずっと同じ位置に立派な店を構えて続けていた尾崎回春堂さんも、残念ながらシャッターが上がっているところを見たことがありませんし、つい最近までやっていたはずの金物店もシャッターが閉じたままで、開いているのは市外からもお客さんが絶えない更科食堂さんと、クリーニングも扱う竹本商店さん、あとは高橋美容室などの数軒でしょうか。そんな中最近市街地のあの石蔵にケーキ屋さんKULATUTAさんが入ったそうで、あらたな起爆剤となって盛り上げてくれるとよいですね。

さて市街地を抜け、三笠市立博物館の向かいから始まる奔別川沿いの新道を上がっていきます。

新道沿いは文字通り何もない…はずが、大規模工事中であった

もうすっかり山に還り、木々以外なにもないところを進んでいくと突如巨大な工事現場が現れたのでした。

ダム建設工事です。

もう人のいなくなった奔別、奔別川もあるのでダムをつくるにはうってつけの地なのかもしれません… この関係で奔別橋より先は塞がれていて通行止めでした。

奔別橋の向こう端は通行止めになっていて行けなくなっていました。
ここがそのままダムになるのでしょうか。
ダム工事が終わったらまた通行できるようになるのでしょうか
この先にも分校等ありましたが、もう行くことはできそうにありません

Uターンして引き返します。

ずっと前から工事事務所の出入りがあったのは知っていました。ただ、その本体のようなものが見えずにいたのですが写真に映っていない範囲も含めての、この見渡す限りの工事現場を目にしてはじめて、「ああ…」と思ったのです。これより先の分校跡や五ノ沢町などは訪問ができません。薄々分かっていたはずなのですが。

引き返す途中、一瞬だけ何かを塞いだ跡のようなものが目に入りました。

ここだけなにかを塞いだような囲いがあります。

ピンときて少し探してみるとやはり…奔別神社の跡です。

もう草に埋もれているのですが石柱があって「神社に拝禮…」まで読めました。

神社に拝禮…読めるのはここまで。草が枯れる秋には全部読めるのかもしれない

おそらく全文としては「神社に拝礼しませう」「神社に拝礼しましょう」そんなことが書かれてるのでしょう。

しばらくの間うろうろして神社の痕跡が他にもないか探したのですが、おそらくこの囲いは神社への階段を塞いだもののようで上がる手段がありません。少し離れたところに斜めの地形が残っていてここに参道があったのかなとも思われました。

斜めに段ができているのが分かる。もしかしたら細い参道があったのでしょうか

神社の跡として分かるのはこのくらいで、あとはカメラの棒を伸ばして高い位置から撮影などしてみましたがそれらしき痕跡を見つけることはできませんでした。

なんとなく自分の中の勝手な思い込みで、神社もお寺も、とにかくずっとあるような気がするものだったのです。なので跡形もないというのは寂しい気がしましたがyoutube動画をみてくださった方からのコメントで「(奔別神社は)もう役割を果たしたのでしょう」と書いてくださった方がいらっしゃり、スッと腑に落ちたような、そんな気持ちになることができました。奔別も、炭鉱の中心部が時代により徐々に移動するのでこの辺りの方が栄えていた時代もあります。昭和20年代の空中写真と40年代の空中写真ではそれがあきらかでした。それ以降は炭鉱自体がなくなるので基本40年代の街並みのまま徐々に人口が減っていく状況です。

しかし、石というのは最強の素材ですね。この石柱も新しいようにすら見えます。コンクリートであればあちこちクラックが入ったりしてこうはいきません。この辺りに神社があり、このあたりが奔別の中心であったのはもう何十年も前のことで、昭和30年代かそれより前ではないかとすら思うのですが、日当たりがそこそこあるためかこの石柱は苔に覆われている様子もなく、当時と変わらぬ姿であろうことが推測出来ました。昭和22年に幾春別大火があった際、幾春別の市街地が一面焼け野原のようになってしまっている写真をみたことがあるのですが、そんな町の中でも一つの石蔵だけはびくともせずに残っていて、その石蔵は大正時代に作られたようですが令和の今も幾春別市街地に残っています。札幌や小樽、函館に残る建物の多くも石造りだったりすることが多くて、…石って、強いですよね。

見渡す限り山の中という景色なので、炭鉱の歴史を知らなかったらここになぜ割と立派な道があるのかも不思議なくらいです。この日は工事がお休みということもあり、一台も車とすれ違わなかった奔別川沿いの新道。炭住の跡すら一つもなく一面深い山の中、その中に残る神社の跡はノスタルジーの枠を超えて神秘的とでもいうような光景でした。