その1からの続きです。動画派の方はこちらをご覧ください。記事はこの下に続きます
それでは玉垣を早速一本ずつ見ていきたいと思います
無学無知、さらに古文書の知識があるわけではありませんので全てお察しください。
まず1つ目はこちら。

八千代… の後のくずし字は一体何とかかれているのでしょうか?
一応動画では「八千代…亭?」などと読んだのですが、亭のくずし字にしては「る」のような部分とそのあとの伸ばしの間に一本横線のようなものが入るのが普通です。簡略化されたのでしょうか。「八千代家」も考えましたが家のくずし字からは遠く、やはり違う感じがしました。

八千代亭だとすると思い浮かぶ〇〇亭というのは料亭の名前か落語家の亭号か。そして落語家の〇〇亭の一覧表を調べると…八千代亭というのは見つかりませんでした。
するとやはり料亭か。明治の古い地図からは八千代亭という料亭は見つけられませんでしたが、このあたりは明治20年代にはすでに料亭が群雄割拠な状態だったようで、ありえなくはない。
ただ4代目となると…この地において明治で4代目というのはかなりレアケースになってくる。このあたりは明治のはじめはススキっぽい草が広がる原野だったので。東京で3代続いたような老舗の料亭が4代目でまだまだ未開拓の札幌にやってくるのもちょっと難しい気がする。
となると、劇場に出入りする役者さんとか。こちら豊川稲荷札幌別院の斜め向かいには、札幌座という大きな劇場がありました。超至近距離の劇場があったのです。そこに出入りするスターのような役者さんでしょうか。
四代目〇〇と書く玉垣は、今回みた中ではただ一つでした。楼主はみなさん〇代目…とは書いていないのでこちらの玉垣は楼主ではない可能性も高いです。そうすると料亭・歌舞伎・お茶・舞踊のような芸事の方、あとは噺家さんでしょうか。
遊女の可能性も捨てきれません。遊女の最高位である太夫は吉野太夫のように〇代目と代がわりしていったりするので、これぞ遊女の名前かもしれませんが、もしこれが八千代”楼”だったら、もしくは八千代”屋”だったら遊女の置屋の名前かな、だとすると四代目の太夫の可能性として高いな…となってきますが、楼のくずし字も屋のくずし字もこれに近いものは発見できず。最初は、「楼のくずし字ではあるものの横に沿える小さな文字なので簡略化したのではないだろうか」とも思ったのですが、他の楼主の玉垣は小さくともしっかりした楼の字が彫られていたのでこの仮説も取り消しました。
名前の方もかなり削れてしまっています。動画では松しか分からないと申し上げましたが松の一文字下、賀という雰囲気もあります。

「松賀」という苗字に聞き覚えがなかったので違うだろうと思い動画には書かなかったのですが、全国に約190人という非常に珍しい苗字でした。北海道にもいらっしゃるようで松賀と読むのかもしれません。(読み取れる中では)一番最後の文字は「治」とも読み取れました。最後の一文字にしては小さめに書かれているので〇治郎とか〇治エ門とか、続いたのかもしれません。下の方はちょうど雪かきをする高さなのか触れやすい高さなのか、かなり削れています。
その他松で始まる実力者というと東京楼の楼主の名が松本弥左衛門だったかと思いますが八千代…と整合がとれません。東京楼は鳴り物入りで始まったものの割と短命でしたのでこの時期にはもう廃業してずいぶん経つ時期です。東京楼の花魁であれば元が東京から来ているので4代目とかも十分ありえますが…廃業しているのでこの線もなし。
八千代という名前と料亭という仮定からたどるとちかいものに「いく代」という明治の札幌を代表する大豪邸のような料亭があります。そこの主ともあれば四代目などと名乗るのも自然な感じはありますが、これもくずし字から考えて大きく離れています。そして開業が明治33年なので4代目というのも少し無理がありますね。
そしてあくまで玉垣は任意の寄進なので東京の実力者の名前が載るということも考えられます。遊郭内の人間である必要は全くないのです(遊郭はここから1ブロック先ですし)。…ここから先は今後の課題として。この玉垣に関しては “今のところ” 遊女の名ではない可能性が高いという判断になりました。
まだ1本しか見ていないのに長くなりました。続きは次回に。情報をお持ちの方、ツイッターにコメントいただけましたら幸いです(TOPページからツイッターに飛べます)。



“すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その2「どこの四代目の何という方なのか」” への2件のフィードバック
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[…] それではいよいよ次回玉垣を一つ一つ見ていきます。次回もまたどうかお付き合いください。 […]