すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その3

その2からの続きです。

動画派の方はこちらをご覧ください。玉垣を一本ずつ見ています(5:06~)

次に見るのはこちら。

前回の八千代…の玉垣のお隣の玉垣。一番下は間違いなく「宮」

こちらの玉垣も結構崩れていまして。一番上の一文字が最初読めなかったんですよね。島かな?高かな?と。

間違いないのは宮という最後の一文字。真ん中のHのような文字はくずし字でいうひらがなの「の」ですね。すると最初の一文字は必然的に「西」です。なぜなら地図に載っていたのでピンときました。遊郭の中にあった料理屋さんです。この玉垣をみたとき、本当にあったんだ、薄野遊郭…というような気持ちになりました。当時の人々と同じものを見ている面白さ。

よ~くみると二本縦線が入っているようにみえますね

確かに「西」だ。薄野遊郭に触れられた

非常に非常に簡単な薄野遊郭略図を描きました。明治43年の地図を見ながらメモ代わりに自分用に描いたものです。明治33年建立の寺院の玉垣を見る上では結構近い時代の地図だと思われます。その略図をちょっと一部を拡大したものがこちら。薄野遊郭一番上のブロックを拡大しました。

〇で囲まれているのが「料理 西之宮」

確かにありますね。西之宮。玉垣は「の」がひらがな、地図では漢字の「之」になっていましたがこれくらいは”地名の「の」あるある”で、之があったりなかったり、カタカナだったりひらがなだったり、かなりばらけます。なので西の宮=西之宮で間違いないと思います。昔の地図にあるものが現物として浮かび上がるとかなり感動を覚えます。

地図で見る限りかなり大きめな料理屋さんです。「料亭」と言ってよいと思います。地図上同じブロックに大きな「長谷川楼」という妓楼が見えていますが、この長谷川楼は薄野遊郭の中で移転した経緯はあるもののかなり老舗で、明治24年の書物で既に一等貸座敷の一つに数えられています。その妓楼にせまる大きさの料理屋さん。かなりお金持ちのお客さんを相手にしていたのではないでしょうか。地図上で見る限り西之宮より小さな妓楼もたくさんあるくらいです。玉垣を寄進するというのはそれなりの実力者、明治の薄野の華であったんだなという感じがします。玉垣は薄野の華の集まりであるといって間違いないと思います。

これも遊女の名前というものではなかったですね。次こそは出会えるでしょうか。次回に続きます

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