すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その4

その3からの続きです。

動画派の方はこちらをご覧ください。玉垣を一本ずつ見ています(5:06~)

今回はこちらの玉垣から。(下画像中央↓)

画像中央。正直かなり削れてしまっている

右上、小さく「北」という文字にも見えます。当時薄野には北〇楼というのはいくつかありました。その楼主でしょうか。もしくは北〇亭とか北〇庵という料理屋さんか。

名前の方もほぼ削れてしまっています。札幌軟石でも柔らかい部分だったのか、場所の関係か。名前の方は「山」と言う文字と最後の「郎」という文字がかろうじて見えます。この時点で男性の名前が推測されるので遊女の名前である可能性はやや低いです。

拡大しました

割と濃く「北」という文字が残っているように見えるが、その下が細ーく(彫りなおした?)幌という文字にも見えなくもないです。もしくは楼?だとすると北の上にもう一文字実はあって「〇北楼」でしょうか。楼であればその下は主、「〇北楼主」となりますがさらにその下にも一文字分なにか刻まれているようにもみえます(横線がピッと力強く入っています)

コントラストをあげて見ました

最後の郎の一文字上は「袋」みたいな次にも見えますがはっきりとは分かりません。今後また散歩をしていく過程で写真を撮りなおしたり古地図を検索しながら探求していくとして、古地図に登場する「山〇〇〇郎」にはこんな方々がいます

山田鬼一郎(楼主)

山際久二郎(楼主)

山口重二郎(楼主)

もしくは上記の方々の代替わりした息子さんも山〇〇〇郎の可能性が高いです。郎の上の字は一とか二には見えないのですが(代・袋などのようなななめのラインが見えるので)

郎の上の字、袋っぽい斜めのラインが入った文字ですよね?

…こちらの玉垣も今後の課題ではありますが、遊女の名前ではなさそうですね。しかし当時の寄進者が令和の今もこうして目に見えるというのが一つ一つ感慨深いものがあります。

次回に続きます


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