ついでにちょっとこんなのも。今回一番心がなごんだ見番の石|すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻れているらしい_その18


前回まででひとまず玉垣についてはおしまいなのですが、こちらの寺院には玉垣と並んで見番の石が残っています。

新見番 とはっきりかかれたこちらの石。新見番ということはもともとの「見番」があるのですが、見番が作られたのが明治23年、新見番にかわる見番ができたのが明治43年なのでその間に活躍した見番です。

見番というのは、芸者さんを料亭などに派遣したり芸者さんが所属したりするところです。

おそらくこの石はすすきの遊廓の中にある新見番前に建てられていた石だと思うのですが、それが今は「当時を偲ぶもの」としてこの地に玉垣と並ぶように移設されたのでしょう。結果、この石が一番当時の空気を今に伝えている気がします。

もともと神社寄贈の玉垣ではありませんから、どこかくだけた空気があり、

新見番という大きな文字の下に、おそらく見番に所属する芸妓さん(芸者さん)の名前が並んでいます。

分かるものだけお名前を羅列します

松寿
小吉
〇子(一文字分からず)
福松
文子
小結?
お手〇
小稲
鹿の子
林子(?)
勝利(?)
姫季(?)
仇吉?
花助
お美代
富士子
いろ子
かつ子
小かね(小がね)
ちょん太
やゑ子
蝶八

時折男性のような名前も見られますが芸者さんの歴史のなかではよくあることで、〇太郎など男性名が使われることがあります(その時代の法にひっかからないようにという所からはじまりそれが定着の過程で粋な名前となったのだと思います)。

〇〇楼主 という権力めいたものはなくて、ちょん太、花助などかわいらしい名前が石にきちんと刻まれているあたりが微笑ましいというか、花街に訪れたようなタイムスリップ感です。

良い意味でちょっと力が抜ける感じがしませんか。明るくなるというか。

対になる石柱がこちらなのですがもしかしたらこの石柱にも何かかかれているかもしれません。こちらは読めませんでした。

この石柱も駐車場という看板をはずすと何か書かれているかもしれません。考えようによっては看板のおかげで風雪にさらされて劣化することを避けられて石柱が未来に保存されているとも言えます。決して「駐車場」の看板にお手を触れませんように。

こちらの石も無断駐車禁止の貼り紙にかくれてしまっていましたが、横からみると若干文字が読み取れました

看板の後ろに何か彫られているのが見えます
…見番?とも読めます

そして下の方には看板が無く、さきほど同様芸妓さんと思われる粋なお名前が並んでいました

音波(おとは?)
又助
春吉
亀吉
染吉
京福
久柗(ひさまつ)
などなど……

駐車場出入口なこともあってか下半分はつぶれてしまっています。

よくぞ移設してここに残してくださったなと思う、なかなか見ることのできない石看板。お参りがてら眺めてくるのも楽しいと思います。

そんな訳で長きにわたり玉垣を眺めるシリーズ、ひとまずここまでです。

遊廓というとイコール遊女、置屋ばかりが並んでいるのかと思っていましたが、逆にこうしてすすきの遊廓の在りし日の姿を辿っているうちにそれ以外の華やかさ、ビジネスという側面で見た群雄割拠ぶり、遊女以外の劇場や料亭などの歓楽街としての側面なども知ることが出来ました。おそらく流行発信地のような役割もあったでしょう。そしてこちらの豊川稲荷札幌別院さんに昔から寄せられていた信頼、周囲の篤い信仰心、歴史も感じられる良い散歩となりました。

※追記 この回を最終回としていましたが、その後増えました。次回の記事も是非ごらんください。

最後に簡単な手作りのすすきの遊廓の地図をのせておきます(転載・無断ダウンロード不可ですが当時をなんとなくイメージするのにお役立てください)※時代により店の位置は変わることがあります