薄野遊廓に思いを馳せながら遊んでおりますこのシリーズも今回で14回目になりました。例によって前回からの続きです。今回の玉垣はこちら。ご存じ高砂楼。高砂楼については
薄野遊廓 高砂楼|すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その9
にて詳しく取り上げているのでよかったらそちらもご覧ください。上の記事内のリンク先には御殿のような高砂楼の写真が見られます(スマホだと見られないことがあるようです)。

今回みていくこちらの玉垣は、今の教科書体のようなはっきりした文字で、丸山直吉。新しく彫りなおしたのでしょうか、もともとの玉垣なのでしょうか。どちらにしろ読みやすくてありがたかったです。
この玉垣も高砂楼の玉垣が並んでいた場所と少し離れた場所に位置していますね。工事の際入れ替わったのかもともとの順番だったのか分かりませんが昇月楼と同じように小さな玉垣たくさん+楼主の名前の大きな玉垣。うなるほどのお金持ちだったのかなと思いを馳せます。

少し離れた場所に高砂楼の名前での玉垣が並んでいる

明治18年あたりの薄野遊廓の地図には、丸山という苗字の楼主はいません。ということは後からやってきて最大規模の妓楼を築き上げたということになるでしょうか。群雄割拠の薄野遊廓において短期間にこれだけの妓楼をつくりあげてしまう、すごいことです。楼主として名前は地図に残っていないものの元々薄野遊廓の関係者だったのでしょうか。他の遊廓からやってきたのでしょうか。その手腕や判断力決断力…すごい人だったのは間違いないですね。今後の課題としてまた丸山直吉さんについては調べていきたいですが、政治関係の方ではないので書物に載るというのはすごく限られてしまうんですよね。我々としてはこういう方の歴史こそ面白みを感じたりするのですが。
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