前回からの続きです。
今回はこちら。見やすい玉垣です。岡田楼で間違いなさそうですね。
岡田楼は昇月楼や高砂楼ほどではないにしろ大規模店の部類です。古地図でいうとここにありました↓
薄野遊廓の真ん中あたりですね。地図で見ると昇月楼や高砂楼の半分くらいの規模と言えるでしょうか。薄野遊廓にはこの岡田楼の半分くらいの規模の妓楼がずらりとならんでいるし、岡田楼も相当な人気店と言ってよいのではないかと思います。見切れているのですが左端の北越楼も以前の記事で玉垣を寄進していたことも考えると、このくらいの規模の店舗から相当な売り上げを誇る店舗だったのではないかなど推測できます。
岡田楼はその後他の多数の店舗と共に白石遊廓に移り営業を続けました。昔の本などを見る限りこの岡田楼の跡地にあの北海タイムス(昔の新聞社)ができたようで。北海タイムスは当時飛行場も持っていたすごい新聞社。
やはり下に行くほど玉垣は削れているので、名前の部分トワともトウとも読めるが、トウにしては文字同士がくっつきすぎているのでバランスを考えてトワだろうと判断した。カタカナから推測するに昇月楼と同じく女性楼主だったのでしょう。この玉垣の右側は以前の記事にて見た「若狭謙吉」の玉垣4本なので次回はその次の玉垣を見ていきます。
次回に続きます
“すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その13” への3件のフィードバック
[…] って前回からの続きです。今回の玉垣はこちら。ご存じ高砂楼。高砂楼については […]
[…] 一文字目は岡田楼の時と同じ文字なので岡と読みました。一応動画内では岡部金四郎と読んでいます。こちらも男性名ですね。 […]
[…] 岡田楼 すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その13 – 北海道さんぽ より: 2023年5月18日 2:19 PM […]