今回からは神社側から見て左側の玉垣を見ていきます。
前回までは神社側から見て右側の玉垣を順に見てきました。やはり寄進者は薄野遊廓に関係する方々が多めでした。左側はどうでしょうか。
今回は一気に5本紹介。官が最初に設置した東京楼を除けば一番有名かもしれない妓楼です。それがこちら
「昇月楼」とかかれた玉垣が4本。これはすぐ読めますね。ありがたい限りです。
昇月楼もまた薄野遊廓のTOP5で一等座敷とされていましたが、その中でも一番有名かもしれません。このセンターのような位置に玉垣がずらりと並ぶ様は見事。当時の栄華に思いを馳せることが出来ます。
そしてその隣には角となる位置にひときわおおきなこちらの玉垣
大きな玉垣には「昇月楼主 田中イソ」と書かれている。田中イソさんは有名人物だったようで、金払いが良かった、きっぷがよかった、気前が良かったのような逸話を聞いたことがある方もいるのではないでしょうか。この玉垣の多さからも多額の寄付をしていることは明らかで、言ってみれば気前が良いというかそれだけこの昇月楼が儲かっていた、お金があったということでしょう。そして昇月楼が名店であったのはやはりその楼主であるこの田中イソさんの手腕の賜物ということになるかもしれません。とにかく玉垣の並ぶ姿は圧巻で当時の栄華を偲ばせてくれました。
ただ一点「田中イソ」さんは有名な方で聞いたことがあったのでイソと判断しましたが、玉垣自体は削れていてイソともイクともイワともイツとも読めるような状態にはなってしまっていました。
もう一つ上の画像左端、ブリキの看板がくくりつけられていてその後ろの玉垣?石標?が全く読めませんでした。これは残念でもありますが仕方ないのと、逆にこの看板が削れを防いで明治に彫られた文字を守ってくれているとも言えます。ここにはなんて書いてあるのでしょうか。
※昇月楼主 の文字は他に比べてあまりにはっきりしていて、彫りなおしたのかとも思いましたが単純に位置が上にあるので削れずに済んだのでしょうか。
“すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その8” への3件のフィードバック
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