薄野遊廓 高砂楼|すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻まれているらしい_その9


前回からの続きです。

今回も私のような素人には読みやすい玉垣でした。削れてるものもありましたが、高砂楼ですね。4本並んでいました

昇月楼の隣に「高砂楼」の玉垣が4本並んでいた
右の玉垣はえぐれているとも言えるほどかなり削れていたがやはり高砂楼と書かれていた

薄野遊廓 高砂楼。白黒写真でも残っているのですがそれはそれは大御殿のような大きな楼です。

ここで一点だけ謎なのですが…その白黒写真ではその大御殿の高砂楼の前は広い通りになっているのです。すると地図でいうとこういう向きに見ていることになるのでしょうか↓

高砂楼は一等貸座敷に数えられていないが古地図で見るとなんならそれらより規模が大きい。
(一等貸座敷は誰が言い出したかわからない側面もある。
書物が書かれた時点で大きかった五つの店かもしれない)

もしくはこういう向きに見ている↓

もしくはこういう向きですね

だとするとこの高砂楼、実際にはとんでもない規模の店だったことになる…狭い方の幅でみてあの大御殿ということだろうか。薄野には本当に巨額のお金が動いていたんだなと思わせる凄さである。圧巻の一言。

それとも、古地図では道の記載がないが実際には人力車などを止める今で言うタクシープールのような敷地があり、そこも敷地には違いないので四角く囲まれているだけのなのだろうか。どちらにしろ本当に高砂楼の大きさはすごい。実際に入ったことはないけれどおそらくこの規模の妓楼であればポーチ(中庭)がついていて回廊的な造りになっていたのではなかろうか。豪華絢爛な妓楼にはその分たくさんの妓娼たちがいて、語り継がれることのない様々な物語もあったかもしれない。

ちなみに前回みた昇月楼と高砂楼は玉垣も並んでいたがこうして地図で見ると店も並んでいたようだ。昇月楼は一等貸座敷に数えられ間違いなく老舗、そして高砂楼は敷地面積でいえば昇月楼よりもさらに大きい。相当なライバル店だったに違いないなどと想像が膨らむ。

今回も遊女の名前ではありませんでしたがここまでみてきてやはり玉垣を出すのはそうそうたる面々ですね。今まで気にしてきませんでしたが今実際にあるものと昔あったものがシンクロしていて面白いです。

次回に続きます。


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