前回からだいぶ時間が経ってしまいましたが続きです。今回はいよいよ女性のフルネームが登場します。しかも寺院の門に近い中央部に位置する玉垣4本です。
まず1本目がこちら

渡辺 ミエ とかかれた玉垣。おそらく女性の名前で間違いないでしょうし、当時女性で玉垣を一本出せるというのはかなりの実力者です。

今宮 歌 とかかれた玉垣。こちらも女性の名前とお見受けしました。

今宮歌という玉垣の向かって右側にある 三村 愛 とかかれた玉垣。こちらも女性のお名前ですね。

さらにその右隣は「井沢 トキ」という玉垣。こちらも女性です。何度も触れていますが玉垣は工事で一度外されてから埋め直しているので当時からこの順だったか分かりませんが、ここは女性の名前がずらりと並んでいるすごいエリアでした。
…ですがこれらの玉垣が遊女のものであるかというと……個人的にはその可能性は低く思えます。
理由の一つはこれらが源氏名には思えないということ。源氏名はちょっと俗世間とかけ離れた雅な名前をつける傾向があるので、雅(みやび)な響きと言う点では歌も愛も雅なのですが…源氏名に苗字つけるのか…とかあれこれ考えると遊女の玉垣であるという決定打にはなりません。
もう一つの理由は、ここまで玉垣を一本一本古地図と照らし合わせて見てきた感想として、玉垣一本でも出すのはそうとうな経済力をもつ人たちだということ。玉垣に名前がある方々の寄付金で寺院が建つくらいの額な訳ですから、このあたりの名だたる実力者が勢ぞろいしているという感じに思えます。権力誇示、経済力誇示の意味合いが多分にあったと思われます。それを遊女がここに名を連ねることができたかと言うと、やはり時代的にも難しい気がします。遊女がもし玉垣出しますといって、周囲が許したかという話です。
源氏名ではなく遊女の本名で出すという可能性もあるかもしれませんが、それを置屋のおかみさんが許すかということを考えると……難しいでしょうね。当時のほとんどの遊女は置屋に利益を大幅に取られていたでしょうし、例えば置屋を差し置いて(残っていないだけかもしれませんが玉垣の出ていない置屋がたくさんある中で)遊女個人名で玉垣を一本出すというのは…考えにくいのではないでしょうか。
むしろ遊女たちがお金を半強制的に出し合って置屋の名前で玉垣を出すことのほうがありえる気がします。出資はできるけど名前は残らない、それが当時の自然な成り行きとなりそうです。そう考えるとここに玉垣が出ている女性たちはそうとうな財力と信心のある周辺の住民、もしくは芸妓さんの頂点、日本舞踊やお茶の先生とか、そのような方たちではないかなという風に思いを馳せました。
これを結論とせず今後も勉強を重ねていきたいところではあります。たとえばこちらで水子供養をしたことがある、かなりこれまで置屋の発展に尽くしてきた遊女がどうしても玉垣を出したいと名乗り出て置屋の女将さんの許可も取れたら源氏名や置屋の名は伏せて本名で出すこともあるのかもしれませんしね。ただ玉垣の名前をみて「あ、遊女のものだ!」と思い至るにはなりませんでした。
玉垣を見ていくシリーズ、次回でひとまず最後です。次回は一番明治を感じられる、ちょっと明るい気分になれる玉垣です。是非ご覧ください



“いよいよ女性の名前がかかれた玉垣4本登場!|すすきのにある豊川稲荷札幌別院の玉垣に遊女の名が刻れているらしい_その17” への2件のフィードバック
[…] 前回まででひとまず玉垣についてはおしまいなのですが、こちらの寺院には玉垣と並んで見番の石が残っています。 […]
[…] 次回に続きます。 […]